癌との闘い-28(あとがき)

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本書を纏めるにあたって、一番辛かったのは蓋をして、記憶のかなたに追いやって忘れてしまいたい過去の現実と、一つ一つ向き合うことでした。
そして、直面した過去の現実を洗い出す作業は私の想像をはるかに超える難しいものでした。

その過程で何度も逃げ出したい衝動にかられ、挫けそうになりました。しかし、それらとトコトン向かい合うこと無くして本著を纏める事は出来ませんでした。

更に、辛い現実と向かい合ってそれを纏めることができた結果、心の浄化も図れたのだと思います。

過去を清算して現実から逃避することなく明日に向けて新たな第一歩を踏み出すためには、避けて通る事は出来ない道だったのです。

最初は家族に対する長い遺言状でも構わないと思いながら書き始めましたが、結果的に一冊の本に纏める事が出来ました。

小さな自信が芽生えました。

私は高校時代の一時期、医学の道を目指そうという気持ちがありましたが、最終的に大学は経済学部の道へ進みました。その後大手総合商社に13年勤務した後に独立起業し、21年半に亘って会社経営に携わりましたので、医学に対する知識は専門的なものは無くあくまでも耳学問です。

ですから、本書を通じて医療に対する言及は全て自分の体験からのものです。

お世話になった病院と先生を始めとする病院関係者には心から感謝はしています。

しかし、今回の癌との闘病生活を通して私は日本の医療制度のあり方は大きく変わらねばならないと思いました。

無論、日本には世界に誇れる公的な国民皆保険制度があり、医療機関の選択も自由ですが、医局間の連携や病院間の連携では首を傾げたくなる事が多々ありました。

*『リスクを負った発言はしない』という考えに基づいた『面倒はごめん』、『波風は立てないに限る』という風潮。

*コミュニケーションの大切さを軽視した、患者とのコミュニケーションよりコンピューターデータを重んじる姿勢。

*ハイテクノロジーを盲目的に信用した、医療ミス、危機管理に対する油断と慢心。

*目の前にいるのは「病んだ患部」じゃなくて「病んだ心を持った人間」なのだという認識の欠如。検査データ、紹介状だけを見て、患者との対話もそこそこに「何ともありませんね。気のせいでしょう」などと言う無神経さ。

*欧米の医療先進国では、データ本位の医療を反省して、診察室での患者との対話を大切にすることが最も重視されつつある。それに対して、日本の心と身体を切り離した、現代医療への疑問。

*心が癒されると、からだの具合までよくなることもあれば、その逆もあり私たちの心と身体は深く複雑に関わりあっているという事に対する問題意識の欠如。
などが一番強く感じた事でした。

私が人生の手引書の一冊として学生時代から何十回と繰り返し読んだデール・カーネギー(1888~1955)の著書『道は開ける』に、アメリカの医学の祖と言われるウィリアム・オスラー(1849~1919)の言葉を紹介しています。

ウィリアム・オスラーは、医者は、病む「臓器」ではなく、病んでいる「人」を診るのだから、人間に深い関心と愛が無ければ臨床医はつとまらない、と教えています。

現代の日本医療及び現代社会には、私が幼少の時代から日本と海外を行き来しながら感じていたことに共通した面が多いと思います。それは、日本社会の『異質なものを嫌う。自分の属するグループ以外に対する閉鎖性と排他的な部分』が大きく関係していると思います。

自分と似たような境遇や職業の人ばかりにこだわらず、異質の世界にも理解を深める努力をする。異質なものが混在するから、人間ひいては社会は成熟するのだと思います。同じ類で群れ合うだけで異質なものに対する理解を深め受け入れようと努力しない限り、日本に世界の一員として、未来を切り拓くような力がみなぎる事は無いと思います。

癌との闘いと会社を立て直すための戦いは壮絶を極め、何回も絶望のどん底に落ち込み出口の無い暗いトンネルの中を歩き続けた日々でした。

癌の再発、転移の可能性の恐怖と戦いつつ、会社を立て直すべくありとあらゆる可能性を模索して出来る限りの事をしました。しかし、最終的に2010年の5月に会社を清算することを余儀なくされました。

絶望のどん底の中で家内、娘、息子の支えがなければ今どうなっていたか分かりません。

我家においては、良く報道番組で紹介されている癌患者を抱えている家族特有の暗い感じは一切ありませんでした。私はとことん暗闇のどん底に落ち込みました。

しかし、家内、娘、息子に至っては、私には癌の再発、転移は絶対に無いと信じ込んで、常に明るい雰囲気でした。

経済面でも家内が

「貴方の分ぐらい私が頑張って稼ぐから安心して!」

と。娘と息子も

「今まで育ててくれて有難う。今度は自分たちが支える番だからゆっくり静養して!」

と言ってくれました。三匹の猫も沈んでいる私の心を癒してくれました。

更に、多くの知人、友人の心温まる励ましがどれだけ私を勇気付けてくれたかも分かりません。

また、私の半生を纏めて『同じ様な病で苦しんでいる人達の為に』、『また日本の医療界に対して患者の立場の理解を増す為の提言として』執筆する事を勧めて下さった聖路加国際病院の日野原理事長のアドバイス無くして本著は生まれませんでした。

ドイツ生まれの米国籍精神分析学者のエリクソン(1902~1994)は

『人間は死に向かって成長する』

と言っています。

これからの余生は人生のぎりぎりまで考え、感じ、成長し続けられる人間でありたいと思います。

全てに対して心から感謝です。


2011年1月21日



毎週水曜日に連載していました『癌との闘い』は、2008年8月から2010年末までの闘病記録を纏めたものでしたが、今回を持って終了させて頂きます。

しかし、現実は新たな展開を迎えました。

昨年9月に癌が左鎖骨上リンパ節に転移したのが発見され再び癌の三大治療を受ける羽目になったのです。

詰まり、私の『癌との闘いに』新たなるエピローグが生まれたのです(笑)

6月初旬に出版される私の著書は、『私の闘病記』を中心に現在に至るまでの半生を描いたものになっています。

私が出版を決意したのは、少しでも大病を患ったり他の理由で希望を失っている人たちの支えになれたら幸いだと思ったからです。

私の半生を知り

『都倉にも出来たんだから自分にも出来る』

と希望を持って生きる人が一人でも増えたらこの上なく幸いだと思っています。

都倉 亮拝




都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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癌との闘い-28(あとがき) への2件のフィードバック

  1. 鴨井新生 のコメント:
    都倉さん

    いま、Skypeのホームから都倉さんのブログに入っています。都倉さんのSkype名教えて頂ければ、こちらから直接電話して見たいと思います。

    もし、宜しければ時間空いたときにご連絡頂ければ嬉しいです。それにしても今日の勉強会は盛会で、松延さんお昼ご飯が美味しいって・・・何よりでした。今まで拝見していた戸倉さんよりもっと若々しく見えましたよ!

    それから。キリストの里公園の写真集アップロードしました。ご覧になって下さい。
                                 鴨井新生  拝
    • 都倉 亮 のコメント:
      今度植山先生、牧さん、松延さんなども交えスカイプでお話しましょうね(^^)

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