癌との闘い-24(感動を失っていくことの怖さ)

Pocket

本『癌との闘い』の連載は、2008年8月から2010年12月までの二年間に亘る闘病記です。

以下は3月21日投稿の癌との闘い‐23のつづきです。



病との闘いと会社を立て直すために全てを捧げて注力していたなか、心身の状態は日を追うごとに下降線を辿って行きました。

そして、それまでに自分にとってとても大切であった物事に対する欲や興味が一つ一つ失われていきました。

食欲は味覚が低下したことや唾液の分泌量が少ないことに加え2010年の記録的な猛暑の影響で著しく衰え、一時期は固形物を全く受け付けない状態が続きました。

更に、とても好きであった読書、音楽を聴くこと、スポーツ観戦なども徐々に興味を失っていきました。

それまで多くの感動を与えてくれていた事柄に対しても感動を覚えなくなっていったのです。

本を読んでもただ文字を追っているだけでした。

頭では常に他の事を考えているような状態で、読み終えても内容は殆ど頭に入っていませんでした。

音楽を聴くことも煩わしく感じました。

娘が私の散歩の時のためにとプレゼントしてくれ、私の好きな曲をダウンロードしてくれたアイ・ポッドも殆ど聴くこと無く放置していました。

そして、昔から多くの感動を与えてくれたスポーツの劇的なシーンをテレビで観ても、全くと言って良いほど感動を覚えなくなっていました。

鏡に映る自分の姿は極めて無表情で無理して笑顔をつくっても、そこには頬がこわばっている自分の姿しかありませんでした。

人と会うこともとても好きでしたが、なるべく人と会いたくないと思うようになりました。

人と会っても無理に笑顔をつくるのが一苦労でした。

そして、人と会った後は疲れがドッと出るようになりました。


徐々に可能な限り自ら外部との接触を断つようになり、ますます孤独感を深める状態に陥って行きました。

こうやって人は一つ一つものごとに対する感動や欲を失っていき、最後には『生きる事に対する欲も失うのだ』と思いました。

そして、自らの命を絶っていく人達が辿るプロセスの一つがはっきりと手に取るように分かりました。


稀代の秀才としてその名を知られ、若くして解剖学の分野で多くの業績を残した元東京大学医学部の細川宏教授(1922~1967)は、44歳で癌のため逝去されました。

闘病中に書かれた多くの詩が、後に遺稿詩集『病者・花』として纏められました。

その中には、とても心に残る詩が多数編集されています。

同氏は主治医に『癌』であることを告げられませんでしたが、自分の病気を癌と知りつつ、なお他人には口外しないで、その多くの詩の中に病魔と闘う姿を表しています。

英語でペイシェント(Paitient)とは病者を意味する一方で『耐える』という意味もあります。

同氏はPatients must be Paitient(病者とは耐え忍ぶ者の謂れである)と詩集の冒頭の『病者』という長編詩でうたっています。

そして自身の心の内を

『病者は辛抱づよく耐え忍んでいる 何に耐え何を忍ぶというのか その身を襲う病苦の 激しくかつ執拗な攻撃を じっと耐え忍ぶのだ 身を守るべき一片の盾もなく 敵を反撃すべき一握りの武器もなく 全身を敵の攻撃にさらしつつ ただ一基のベッドに身を伏せて ひたすら時の経過を待つのだ・・・』

更に

『・・・ああこの夜の底知れぬ深さと 永劫とすら思える長さに 病者は耐え忍ばねばならないのだ・・・』

と続き、最後に

『・・・病者の忍従の力が 何時の日か必ず 理不尽な病魔の暴力に打ち勝って 全ての苦悩を 追憶の淵に放擲(ほうてき)する日がやってくるであろう その日の接近をつげるひそやかな足音を 病者はじっと耳をすまして待つのである』

と締めくくっています。

同氏は、東京大学の入学も医学部の卒業も最優秀、更に陸軍軍医学校でも千何百人という中で教官が驚くほどの成績を示して一番で卒業したということです。

その後も若くして多くの業績を残した同氏でさえ、癌との闘病に関しては病者としての恐れ、不安を抱いていたことを知り、私の心の負担が少し軽減したことを覚えています。

つづく

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 癌との闘い タグ: パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です