若者との出会い

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私は母親が敬虔なカトリック信者だったため、知らないうちに幼児洗礼を受け、物心もつかないうちから毎週日曜日は母親に連れられてミサに参列していました。

現在のカトリックミサはその国の言葉でなされていますが当時は全てラテン語でした。

意味の分からないミサと厳格だった母親からは、教会内では一切の私語を許してもらえず、私にとっては毎週の日曜日の朝は苦痛の時間でした。

14歳の時に日本に帰国してからは高校受験を理由に教会から遠ざかり、それからは基本的には復活祭、クリスマスなどの大きなイベントのあるときにしか教会には行きませんでした。

結婚して子供が出来、一時期家族で教会に通っていた時期もありましたが、基本的にはとてもいい加減なクリスチャンでした(笑)

しかし、2008年からの闘病生活を経て、余りにも人事(ひとごと)では説明の付かないいろいろなことを経験して、理屈ではなく人間の力を超えた大きな力を幾度となく実感しました。


更に、今まで言葉として頭に入っていたいろいろな『聖書の言葉』が言葉としてはなく実感できた時に、その感は益々強まっていきました。

そういうこともあり、現在は横浜の自宅の側にある教会に出来るだけ毎日曜日の早朝のミサに参列しています。

一昨日の日曜日も早朝七時半のミサに参列しようと思いましたら、当日七時半のミサはお休みでした。

とても春めいたぽかぽか陽気でしたので、そのまま歩いて20分ぐらいのところにある新横浜のそばの鶴見川流域を散歩しました。

この散歩道は、昨年の9月に癌の左鎖骨リンパ節への転移が確認され入院するまでは定期的に散歩していたルートでしたが、癌の転移が発見されてから一度も行っていませんでした。

私が散歩する鶴見川流域は新横浜駅の近くで、そこからは空気が澄んで入る時は富士山も見えるとても景色のいいところですが、当日は残念ながら富士山は見えませんでした。

流域を歩いていると時折釣り人に出会いました。

私はもはや実際にやることはないですが、釣りは小さい頃からとても好きで、二人の若者が釣りをしているところに行き話しかけました。

二人はルアーでブラックバスを狙っていたそうですが、当日はアタリがないと言っていました。

しかし、話しているうちに二人の青年のうちの一人の若者がとても人懐っこくいろいろ話してきました。

肘までたくりあげた両腕は手首まで刺青が入り、顔も耳もピアスだらけのサングラスをした青年でした。


『おじさんの年齢じゃ知らないかも知れないけど俺の親父は昔は雷魚って魚がよく釣れたって言ってたよ』

『いや、僕も雷魚ならよく知っているよ。ちなみに君のご両親は幾つ?』

『親父が50でお袋が一個下だよ』

『ハハハ。それじゃ二人とも僕より10歳近く年下だよ』

『うっそだー。ほんとすっか?』


更にもう一人の青年が流れてきたごみを網ですくっていたので私が

『偉いね。そういうこともしているんだ?』

と言ったところ

『今の時代は見た目でしか人を判断しないから、俺たちなんか相手にしてもらえないんすよ。だから、少しでもいいこともしているってアピールしてるんすよ。誰も見てなくても、川がきれいになれば俺たちも気持ちいいっすから。』

3月22日の『個性』という表題のブログを書きいろいろなコメントを頂きましたが、その中でピアスや刺青に関してコメントの遣り取りをおこなったばかりでした。

確かに、見た目では一般社会では受け入れられにくいような出で立ちでした。

しかし、サングラスを外した目はとても純粋な澄んだ目をしていました。


『僕のメルアドとブログのURLが書いてあるから時間があったら読んでよ。また、いつでもメールで連絡してよ』

と言って名詞を渡して別れました。

フェースブックを通じて世代を超えた人たちとの出会いが実現して多くの若者とも知り合いになりました。

しかし、久々のリアルの世界での若者との素適な出会いでした。



都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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若者との出会い への2件のフィードバック

  1. herbalkids のコメント:
    私も敬虔ではないクリスチャンです。
    「あなたの若いとき神様の言葉をおぼえよ」というような聖句があったと思いますが、
    まさに、若いときに覚えた聖句は、記憶の心の片隅にずっと残っていて、
    必要な時に現れてきます。

    神様の計画は人には計り知れなくて、時には思い切り文句を言いたくなります。
    都倉さんのブログを読ませていただき、なんて過酷な・・と思いました。

    でもきっとそのことには大きな理由や目的があるのだろう・・とも感じました。
    「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある・・」
     伝道者の書3:1〜8・・私の心の底にある聖句です。

    神様は、きっと大きな目的のために、都倉さん!と指名されたのだと思います。
    神様に少しの文句を言いつつ、これからもブログを読ませていただきますね(笑)
    • 都倉 亮 のコメント:
      返信が遅れ大変失礼致しました。

      日々の相談メールに加え講演が立て込んでいた上6月に出版される本の最終的な原稿の準備に追われておりました。

      出版に関してはまたブログでもご案内させて頂きます。

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