癌との闘い-23(癌の再発、転移の恐怖)

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本『癌との闘い』の連載は、2008年8月から2010年12月までの二年間に亘る闘病記です。

以下は3月14日投稿の癌との闘い‐22のつづきです。



それ以上に、体重の減少に関して私は

『いよいよ身体が癌に蝕まれている』

と信じ込んでいました。

そして、病院に行く時以外は外出することも殆ど無く、自宅でも部屋でベッドに横たわっている時間が一番長いというような状態が続きました。

ベッドに横になっていても実際に眠っている訳ではありません。

起きると眩暈、立ち眩みが強かったので横になっている時間が長かっただけです。

しかし、振り返って見ますと、会社を清算したことに加え余命も長くないと信じ込んでいた私の精神状態が、大きな原因として身体症状に現れていたのだと思います。

2010年の夏は記録的な猛暑の連続でした。

気象庁で記録をとりだしてから一番暑かった夏だったようです。連日全国各地で猛暑のニュースが報道されていました。

健康な人間でも食欲不振に陥った人が多かったようですが、私の場合は一時固形物が殆ど食べられない状態になっていました。

家内もそういう私の状態を心配して、食べやすい食事を作って少しでも食べられるようにいろいろ工夫をしてくれました。

味覚も中途半端で手術で唾液腺の一つを摘出しているため、物を飲み込むときに咽につかえます。水分を多く含んでいる物や味付けを分かりやすい味付けにしてくれました。

それでも食欲は湧かず、8月に訪れた経過観察で私の体重が余りにも減った事を心配してくれた主治医が、食欲が増進する漢方薬も処方してくれました。

しかし、食欲は増進せず体重はどんどん減り続けました。

この時点で私は病気を苦にして 『自らの命を絶つ』 人間の気持ちが手に取るように分かりました。

私が入院している期間に親しくなった患者が少なからずいました。

大体の患者は私より年配の人達でしたが、同じ辛い治療を受けて苦しんでいる中、お互いに励ましあっていました。

若い分、私の方が体力的に勝っていたため、ご本人やご家族がお見舞いに来院した際などは自分の体力の許す限り積極的に笑顔で話しかけるように努めていました。

次第にご家族の人達とも親しくなり、お見舞いの際に私にも差し入れをして下さることもありました。

いつの間にかそういう人達と

「我々は同期生だ。退院したら同期会を開こう!」

と言い合う間柄になっていました。

治療を経ていくうちに皆自然と無口になり(喋りたくても喋れないという事情もありましたが)表情もなくなって行くなか、そういうたわいない話題が辛い治療を癒すひとときの憩いになっていました。

退院後も、偶然経過観察の日が一緒で、病院で診察時間を待つ間に退院後の生活を話しあったり、近況報告のメールの遣り取りをする人も数人いました。

しかし、月日を重ねる内に経過観察で一緒になると 『転移の疑いが持たれている』、『再発したようだ』 と私と同様に転移、再発を不安がる同期生もいました。

そして、中には実際に転移、再発して新たな治療に臨まなければならない同期生もいました。

訃報の一番早い知らせは、2009年6月ごろでした。

私が退院してから約半年後で、その人は放射線/抗がん剤の併用治療を受けたときの同期生でした。

放射線/抗癌剤の併用治療で癌が消失して退院できた人でした。

私が、放射線/抗癌剤の併用治療の後、消失しきらなかった左首リンパ節の癌を取り除く手術をすることに対して、とても同情してくれていました。

奥様からの手紙には

『その後いかがお過ごしですか。主人が・・・月・・・日に他界しました。生前は、特に入院中は都倉様にいろいろ励まされたと退院後こと有るごとに話していました。(中略)都倉様におかれましては、今後ともお元気で回復されることをお祈り申し上げております。』

と書かれていました。

『えっ!あの人が?』

と思いました。癌のレベルも私より低く、放射線/抗癌剤の併用治療で癌は完全に消失した人だったからです。また、経過観察で一度会ったときも、

『自分は転移、再発の疑いも無く、極めて順調に回復している』

と言っていたのです。

最初の手紙を受け取った頃の私は、徐々に身体のいろいろな部位に異変を感じ始めた頃でしが、まだ心身に余力があり、同期生の死を悼み奥様に返信を差し上げることも出来ました。

しかし、月日が経つに連れ、私自身が毎月転移の疑いが持たれ、それに伴いいろいろな医局で精密検査を受ける日々を送り精神的にも落ち込んでいきました。

同じ頃、何ヶ月に一回か同期生の家族から同期生が亡くなったという訃報が届くようになりました。

ある同期生は、娘さんから

『父が亡くなる前に都倉さんによろしくと申しておりました』

という内容の手紙で締めくくられていました。

入院中に親しくなった人達だけでもこれだけ無くなって行くのだ。その他の患者を含めたら一体どのくらいの患者が亡くなっているのだろうという考えが徐々に頭から離れなくなってきました。

そして、心身ともどん底にある状態で届いた同期生の家族からの訃報の知らせに接した時は、

『次は自分の番ではないか?』


という恐怖感に襲われる日々を送り続けるようになりました。

つづく




都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 癌との闘い タグ: パーマリンク

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