大きな力

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久し振りにミュージカルを観てきました。

知人が出演している私のとても好きなミュージカルなのでとても楽しみにしていました。

公演が開始されてからなかなか時間が取れませんでしたが、東京最終公演の前日にようやく観にいくことが出来ました。

舞台はナチスドイツの支配が強まる1930年のドイツ・ベルリンをを舞台に、歌姫サリーと作家志望のアメリカ人クリフとの恋と破局を描いた物語です。

私は父の仕事で幼少の頃、二回に亘ってドイツに合計11年間滞在しました。

10歳から14歳までは当時の西ベルリンに住んでいましたが、私が滞在した1964年から1968年の頃の西ベルリンは、世界で一番緊張した地域であったと言っても過言じゃありませんでした。

米国とソ連の冷戦の真っ只中にあった1961年8月に東ドイツ(ドイツ民主共和国)政府によって建設された東ベルリンと西ベルリンを隔てる壁は、1989年11月に崩壊され、1990年10月に東西ドイツが統一されるまでドイツ分断の象徴となっていたのです。

当時アメリカ合衆国大統領であったJFケネディは1963年6月にベルリンを訪れ、自由と平和のために最前線で戦い続けたベルリン市民をたたえ、最後に自分自身も

”Ich bin ein Berliner.(私も一人のベルリン市民である)“

と宣言してベルリン市民のみならずドイツ市民を熱狂させました。


ケネディは同年11月22日に米国テキサス州ダラスにジャックリーン夫人と共に訪れていた際に狙撃され暗殺されました。

ベルリン市民の悲しさの大きさは想像を絶するもので、私がベルリンに滞在した時にはケネディ大統領の名に因んだ JFKドイツ・アメリカ学校 という学校もありました。

このときのソ連の指導者はフルシショフ第一書記でしたが、時代は流れ、ゴルバチョフ大統領の時代の1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊しました。

そしてベルリンの壁の崩壊による東西ドイツの統一は、結果的にソ連ゴルバチョフ大統領のへ変革路線とともに、ソビエト社会主義連邦共和国の崩壊にまで進んで行ったのです。

私は西ベルリンの米軍属の子弟が通うアメリカンスクールに通学していましたが、通い始めたのはケネディ大統領がベルリンを訪れた翌年からでした。

ベルリン時代の体験は祖国が分断された国の悲哀をいやほど感じました。

壁一つを隔てて自由と自由のない社会が存在したのです。


その時に、祖国が分断されていては本当の意味での国家の平和的な発展などありえないということを、身を持って体験した私はその後帰国して日本国民の

『国が平和であって当たり前』

というような考え方には非常に戸惑ったことを覚えています。


日米安保条約のもとに  

『国は米国が守ってくれる』、『空気と平和はただ』

ということを前提に経済成長のみに専念してきた日本国民ほど、世界で平和は自力で勝ち取らねばならないという意識に欠けている国民はいないのではないでしょうか?

話はミュージカルの話しに戻りますが、物語がナチスドイツ台頭直前のベルリンが舞台ということもあり、私はこのミュージカルに特に興味を持ち、ニューヨークのブロードウェイでもロンドンのウエスト・エンドでも何回か観たことがあります。

ニューヨーク、ロンドン公演では名立たるミュージカルスター達が出演していました。

しかし、今回の公演にはブロードウェイでもウェスト・エンドでもない素晴らしい演出が含まれていました。

それは、東日本大震災で被災した人たちに向けたメッセージです。

カーテンコールの時、主役のサリーがしっかりとした穏やかな口調で被災者に向けた励ましのメッセージと観衆に向けた被災者応援のための義捐金を募るメッセージは、ミュージカルの内容に勝るとも劣らぬ素晴らしいものでした。

私も昨年二回に亘り被災地で話をして参りましたが、スポーツやエンターテインメント活動が人の心にもたらす感動の大きさは、私などが100回話をしても足元にも及ばないものだということを実感しています。

今後の日本各地での公演も成功すること、そして被災地、被災者が勇気付けられることを心から願っています。




都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 芸術 タグ: パーマリンク

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