一年間の出来事

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このたび私の半生を綴った手記が致知出版社から出版されることになりました。

14日に初回打ち合わせを行いましたが、出版時期は6月初旬と決まりました。


この時期に打ち合わせをして6月初旬に出版とは異例ですが、出版に至るまでの経緯をご説明したいと思います。

まだ1年半前の2010年の夏は私にとっては死が手を伸ばせば直ぐに届くくらいのところにありました。

家族に遺言書もしたため、敬愛する聖路加国際病院の日野原理事長にもお別れの手紙を書きました。

私自身はは日野原先生に手紙を出したことは忘れていたのですが、初秋に先生から電話があり聖路加の理事長室に行きました。

そこで、日本を代表する腫瘍内科の山内先生に診察をしていただいたあと日野原先生に次のようなアドバイスを受けました。

『あなたの反省を纏めてみたらどうですか?貴方の半生は人が経験したことのないようなことがいろいろ含まれています。特に貴方の癌との闘いに勝ち抜いた姿は癌を始めとする難病を患い希望を失っている人たちの大きな希望になります。更に、患者の方に目が向いていない日本の医学界に対する警鐘にもなります』

と。

先生には纏めるとお約束しましたが、その当時の私の心身の状態といえばパソコンをオンにするかどうかを決めるのに5分ぐらい考えなければならないような状態でした。

現在多い時はパソコンに10数時間向かい合うこともあることからはとても考えられない状態でした(笑)

最初は家族に対する遺言状の続きを書くというような気持ちで書き始めたのです。

結果的に1ページ400字で換算して250ページの草案が纏まりました。

3ヶ月かけて纏め上げた手記は日野原先生にとてもご評価頂き早速出版社のご紹介を頂き、先生の出版関係のお手伝いを40年間に亘り行っている秘書が出版社との窓口になってくださり出版の話が進みました。

しかし、東日本大震災で出版社の印刷設備が被災して出版の話は宙に浮いてしまいました。

丁度一年前の今頃の話です。


その頃は手記を本にすることしか頭に無かったのでとてもがっかりしましたが、複数の雑誌社が私の体験談に興味を持ってくれ、昨年の『いきいき9月号』で私の体験談を大々的に取り上げられたのを皮切りに今年になって『致知2月号』で日野原先生との対談が実現し、『いきいき3月号』で私のその後の活動に関する記事が掲載されました。

その間、多い時には一日200通を超える全国からの相談メールやフェースブックを始めとするソーシャル・ネットワーク・サービスを通じて数千名の人たちとのネットワークが構築されました。

こうして日々情報の収集、共有、配信が可能になったことによって、私自身の中では昨年に比べて出版ということに対する重要性が自分の中で低くなっていました。

しかし、『いきいき』や『致知』で紹介されたことにより講演する機会が昨年まで荷比べ手大幅に増えましたが、必ず聞かれることは著書のことなのです。

私自身は、紙媒体は将来情報伝達手段としての役割は低くなっていくことは間違いないと信じています。

しかし、いろいろな講演終了後の質疑応答や懇親会の席での質問を通じて、現在はまだ紙媒体の方を重視している人たちの割合がとても多いことを再認識しました。

出版に関しましても、講演先の主催者の人たちが出版社をお世話をしたいなどという有り難いお申し出も頂きましたが、本の出版は日野原先生と私の対談を全国に紹介してくれた致知出版社が最適だと考えていたところ、このたび正式な出版のお話しを頂いたのです。

この一年を振り返って見ますと、震災で出版の話しが中に浮いた時はとてもがっかりしました。

しかし、そのお陰で逆に多くの道が開けたのです。

本の出版が順調に行っていたら、『いきいき』や「致知」に私の闘病記や対談記事が掲載されることもなかったかも知れません。

ましてや、ブログは多分書いていなかったでしょう。

そうするとフェースブックを始めとするブログを連動させているソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)との連動もなく、現在新たなる知り合いとなっている多くの人達との出会いも無かったのです。


多くの人達と出合ったお陰で私自身の生活は一変しました。

一年半前にはベッドから起き上がれず、天井の一点を見つめて残されていた最後の希望も消えかかっていた人間が、現在は多い時は一日200通を超える相談メールに応対し、講演、学会、シンポジウムなどで発言を行い、複数の企業、団体のアドバイザーとしての役割を果たし、更に日本の現在の停滞を打破すべくいろいろなプロジェクトの立ち上げ、推進に参加できるまでになりました。

これに、6月初旬発売に向けた本の準備が加わるので、正直言って現在でもかなりいっぱい、いっぱいですが、これも天が私に新たな命を与え下さったから出来ることで、ワクワクしています。

私が20代の頃、三井物産からベネズエラに転勤していた時期がありました。

スペイン語を学ぶのに元ハバナ大学の教授だったフェルナンデス女史が選んだ教材は、スペイン人でも読みこなすのが難解だといわれるスペインのミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616)の小説ドン・キホーテ(Don Quixote)』でした。

一言で言うと騎士道物語を読みすぎて妄想に陥った下級貴族が自分のことを伝説上の騎士だと思い込み遍歴の旅に出かける物語です。


しかし、私はドン・キホーテを読み進むにつれドン・キホーテが

『風車を敵だと思い突撃していく姿』、『田舎娘をお姫様だと信じて慕う姿』

を通じてフェルナンデスは次のようなことを言おうとしたのではないかと思いました。

『それは、世の中が余りにも乱れきっているから、人間が本来神から与えられた姿で正しい行いをしようとすると、その姿はこっけいな気のふれたような人間の姿にしか見えないのだと』

ミュージカルにもなった ラ・マンチャの男 の主題歌

『見果てぬ夢』

は、人生にいろいろ悩み考え抜いていた若かりし頃の私に大きな希望を与えてくれました。

しかし、若い頃の話だけではありません。

今再び私は 見果てぬ夢 に向かっていきいきと歩んでいる自分の姿を感じています。

見果てぬ夢はいろいろなアーチストによって歌われているスタンダード・ナンバーですが、ミュージカル映画で ピーター・オトゥール演じるドン・キホーテが、ソフィア・ローレン演じる田舎娘に朴訥と歌う 見果てぬ夢 が一番ドン・キホーテの心情を表しているような気がして好きです。

最初の歌の部分だけお聴き下さい。






都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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