学び方の違い

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昨日3月14日は殆どの人にはホワイトデーで知られる日ですが、 円周率 の日でもあったそうです。

更に、物理学者アルベルト・アインシュタインの誕生日でもあるそうです。

なぜ3月14日なのか? というと、想像は付きますが“3.14”で始まるから…ということらしいです。

アメリカ・メリーランド州にあるメリーランド科学館では、円周率(パイ)の日を祝って、“円周率(パイ)の暗唱”や“パイ食べコンテスト”、“ピザ・パイ投げ”などが催されるほか、アインシュタインの生誕日を祝って“ハッピーバースデー”を歌い、アインシュタインにまつわる実験を行うイベントもあるそうです。

もう、何でもありって感じですね(笑)


さて、円周率も数学ですが、数学といえば私が14歳で11年間過ごしたドイツから帰国して、日本の中学2年生の3学期に編入した時の数学の授業にびっくりした時のことを思い出しました。

皆がやっていたことはひたすら数式の暗記でした。

膨大な量の数式を暗記しているのです。そして、多くの生徒に聞くと一番嫌いな科目は数学という生徒が多かった記憶があります。

私は理数系の科目が得意でしたが、それはドイツのアメリカンスクール時代に指導を受けた数学の教師の影響がとても大きかったと思います。

ある日普通の数学の授業を受けていたときに先生が次のような質問を投げかけてきました。

『君達。夜空に大きな弧を描く花火の面積のどうやって求めるのか分かるかい?』、『それでは、君達には吸ってほしくは無いけどタバコを吸ってタバコが短くなるに連れて蓄積されるニコチンの量は?』


誰も答えられないでいると、先生が

『そりゃ分からないよね。君達が今まで学んでいた数学では求められないのだから』

と。

すると、一人の生徒が発言を求め

『先生、どうしたらその計算方法は学べるのですか?』

と質問したところ、先生は

『それは、僕の別のクラスを受講して微分、積分を学べば分かるよ』

とウィンクをして言いました。

私も先生の話にとてもロマンを感じ是非ともその授業を受講してみたいと思いました。

先生の別のクラスは最初に質問した生徒と私の二人だけでした。

当時13歳でした。


今では知りませんが、当時日本の学校では13歳で微分、積分は教えていませんでしたが、私の在学していたアメリカン・スクールでは生徒の能力において学校側がいろいろな特別クラスを設けて生徒の能力を伸ばす試みがとられていました。

数学以外にも絵を描くことに対して特殊な才能を持っていた女子生徒一人のために特別会がクラスも設けてわざわざ外から指導者を招くようなこともしていました。

私と一緒に微分、積分のクラスを受講した学生はその後若くして米国ハーバード・大学の教授になった秀でた能力の持ち主でしたが、その生徒と私のために特別なクラスを設けてくれたため楽しみながら高等数学を学ぶことが出来ました。

それゆえ、日本の学生達が数式を辟易しながら暗記している様子は異様に映ったことと、こういう覚え方では試験が終了したら直ぐに忘れ、数学という本来論理的な思考を育てる学問とは程遠いことをしていると思いました。

私も、もしずっと日本で学び当時の日本流の数学の学び方で数学に接していたら数学が好きになったかどうかは分かりません。

私が受けた指導は常に大きなロマンが背景にあり、その答えを模索する手段が数学だったのです。

英語の授業も同様に私が興味を持てるような指導方法でした。

私は、母親に英語の『エの字』も知らない11歳の時にいきなりアメリカンスクールの同じ年齢の学生が学ぶ学年に入れられました。

先生達は一、二年遅らせたほうが良いのではないかとアドバイスしたそうですが、母親は大丈夫だと言い張ってそうしたようです。

当然のことならが最初の頃は何も分かりませんので、6ヶ月間私ひとりのために特別なクラスを設けてくれ英語の勉強をしました。


しかし、そこでは文法の勉強は一度もしたことがありませんでした。

単語を一日10単語程度覚えることと、その単語の語源などの解説あとはその単語を使って何か文章を作り、それを実際に声を出して復唱するというような内容でした。

その間、主語、動詞などが間違っていようが全く構わず目的語さえ明確なら言葉は通じるという教えのもとで指導を受けました。

確かに日本の英語授業の文法教育で重視する主語、述語は大切なことは大切ですが、間違えても通じます。Be動詞を使うべきところを他の動詞を使っても伝わります。

目的語さえ明確なら相手は完全ではなくとも何となく分かるものです。

例えば、 学校に行く といいたい場合

I go to school が正解ですが、それがかりにI go school,, I am go to school, I am going schoolでも通じるのです。

日本の受験英語では最初のI go to school以外は全部不正解です。

そこで、日本の多くの英語を学ぶ学生にとって英語は詰まらないパズル解きになってしまい、そこから先に進まなくなってしまうのです。


こういうものの学び方が出来たのはとても幸いでした。

なぜなら、こういうものの学び方は私の中に強く

『人間は興味を持って学べば強制されなくても学ぶがいやいややっていることは身に付かない』


ということを身を持って体験できる機会だったからです。

好きなことは強制しなくてもやる。

教育者、教師の役割は勉強そのものの技術的な側面を教えるより、その学問の楽しい本質論を理解させることから始めるべきだと思います。

円周率の日に因んで、何十年ぶりかに円周率を唱えてみました。

昔、確か50桁ぐらいまでは言えた時期がありました。

今日やってみると3.1415926535……まででした(笑)





都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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学び方の違い への2件のフィードバック

  1. 目加田 明仁 のコメント:
    亮さん。初めてコメントさせて頂きます。今の日本の学習の異常な面を的確に指摘されていると思います。Education→Educoとは確か自分の中から湧き出るもの‥と言う様な意味だったかと思いますが、教育とは正に自分の中に眠っている能力・潜在力を如何に引き出すか?‥と言う事に最も注力すべきだと思います。一方、単に物を暗記する‥と言う事であれば辞書・その他の記憶媒体を使えば良い事でそんなものは教育に値しないと思います。

    この辺は一重に日本の国民を馬鹿にする為に誰かが操作しているのか?‥と思わざるを得ません。特に最近、顕著なのは自分で考えて物事を決める・決断する‥と言う事が出来る方が非常に少なくなっており、出来たとしても幾つかの揃えた回答の中から選択する‥と言う馬鹿な方法が主流の気がします。つい最近も著名な会社から、ネットの重要性を考えましょう‥と言う様なタイトルで『もしあなたが眼が醒めた時に全く知らない部屋に居てパソコンが一台置いてある場合にどうしますか』と言う馬鹿な質問がありました。腹がたったので‥そんな質問をする事、自体がナンセンスで奴隷の思想です。馬鹿な質問をするな!‥と打ち返そうと思いましたが、当時はFaceBookに登録していなかったので結局は回答する事が出来ませんでしたが。

    今、日本は様々な困難に直面していると思いますが、一つの状況に対し、答えを誘導或はY/Nを言わせる方法が蔓延っていると思います。もっと広く視野を持ち、自分で考え答えを出す事が非常に重要かと思います。多少、的外れかもしれまえせんが、コメントさせて頂きました。
    • 都倉 亮 のコメント:
      昨日まで日野原先生主催の

      『新老人の会』

      の全国支部長会議に出席していましたので、返信が遅れ済みませんでした。

      日本の学校教育に対しては私なりにいろいろ意見を持っていますが、いずれにせよ余りにも教師から生徒への一方通行の教育に終始していると思います。

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