
お目当てのチームの試合をテレビで観ながらふと昨年の11月末の仙台で行われたベガルタ仙台戦とヴィッセル神戸戦のことを思い出しました。
ベガルタ仙台のホーム最終戦でヴィッセル神戸を迎えての試合でしたが、丁度観戦する機会に恵まれました。
私はサッカーの試合は年間数回はスタジアムに行って観戦していますが、ホームのサポーターのアウェイ選手に対するブーイングは生半可なものではありません。
選手紹介などもアウェイ選手の扱いは早口でささっとアナウンスで行われるだけですが、ホームの選手の紹介となると大音響の音楽をバックに一人一人の選手の特徴なども紹介しながら紹介するところもあります。
ホームで試合するチームはアウェイチームが11人で戦うのに対してサポーターの分も入れて12人で有利に戦えるといわれるゆえんです。
しかし、当日は様相が異なりました。
試合開始前、いきなりスクリーンに
『神戸市及び神戸市民に感謝』、『私達は神戸を手本にして見習います』
という文字が表示され、神戸が阪神淡路大震災から立ち直っていった様子や今回の震災直後からヴィッセル神戸の選手がいち早く街頭に立って義捐金集めを行っいる様子が映し出されました。
そして、バックにはとても美しい神戸が震災から立ち直っていく様子を歌った歌が流れていました。
試合が始まると通常の試合のようにサポーターは地元のチームに大声援を送っていましたが、試合終了後再びヴィッセル神戸及び神戸のサポーター達にエールを送るというおよそサッカーの試合では考えられないような暖かい雰囲気でスタジアムが包まれていました。
本日3月11日は未曾有の大地震が東北の大地を襲ってから一年です。
千年に一度とまで言われた大地震は各地に冷酷なまでの爪痕を残しました。
地震が直撃したとき、私は東京麻布十番のレストランで知人と昼食を共にしていました。
尋常でない揺れを感じた途端にレストランの従業員は全員客を店内に残したまま逃げ出していきました。
そのくらい激しい揺れだったのですが、人間が究極的な恐怖に直面したときに本能的にとる行動がよく分かりました。
外に出ると回りのビルは揺れ道は左右に動いているようにみえ、老婆は道端にうずくまり、若い女性は泣きながら走っていました。
電車が全て停まってしまったので、私は歩いていける会員になっている複合施設に一晩滞在しました。
余震が続き眠れぬ夜を過ごしましたが、大型スクリーンテレビに写し出されたリアルタイムの東北各地の惨状はにわかに現実とは思えず、あたかもコンピューターグラフィック映像を見ているような錯覚に陥りました。
そして次々に映し出される大惨事を目の当たりにして東北地方に甚大な被害が被害が及ばされている現実を知りました。
テレビ中継を観ながら自分に出来ることは無いかと考えました。
地震直後から海外からのボランティアの人たちが続々と支援活動のために来日しました。
しかし、現地に入ろうとしても現地では言葉が通じないという理由で東京に足止めを食らっているという情報を大使館筋から聞きました。
私はすぐさま自分は四ヶ国語に堪能ということを前面に出して現地で通訳として役立ちたいと申し出ましたが、私自身が『経過観察の身』ということで申し出を却下されました。
自衛隊員が昼夜を問わず人命救助のために一刻一秒を争っていた時期の話です。
東京で待機していた海外からのボランティアの人たちも現地入りできず、東京に長期間待機する費用を負担することも出来ず、そのまま帰国した人たちが多かったことを各国の大使館員から聞きました。
このような緊急事態においてもなお杓子定規な判断しか出来ない役所仕事には開いた口も塞がりませんでした。
また、こういう情報が殆ど大手メディアでは報道されなかったことも本当の情報を我々が入手できない要因となっています。
東日本大震災のと気に一番正確な情報を入手できた人たちはフェースブック、ツイッターなどのソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に繋がっていた人たちでした。
SNSの力は更に昨年長年の圧政に苦しんでいた中東諸国に短期間で市民革命を起こさせ、独裁政治を転覆させました。
私も現在SNSを最大限に活用すべく幾つかの大型プロジェクトに取り組んでいます。
日本社会に大きなうねりを起こしたいと思います。
近日中に皆様方に発表できるものもあると思います。
日本を良くするために是非とも皆様のご協力を仰ぎたいと思っています。
被災地には昨年秋以降二回に亘り話をさせて頂く機会があり、多くの被災者の人達ともSNSを通して繋がりが出来ました。
今年も何回も足を運びたいと思っています。
昨年の11月に仙台のスタジアムに流れた神戸の復興を歌ったとても美しく優しい歌。
しあわせを運べるように
聞きながら自然に涙がこぼれました。