
以下は2月22日投稿の癌との闘い‐19のつづきです。
創業以来ずっと私及び会社を支え続けてくれた銀行が銀行同士の合併によりメガバンクとして生まれ変わりました。
表向きは対等合併ということでしたが、実質的には相手側銀行主導の合併でした。
新たに生まれたメガバンクの中の勢力図も日を追うごとに変化が見られました。
当社を支えてくれていた合併前の銀行側の人間が次々と表舞台から姿を消して行きました。
一年以内に担当者が三人、部長が二人人事異動で替わり、徐々に旧取引銀行の色が薄まっていきました。
そして新たに合併した相手側銀行の人間達が主要ポストを占め始めたのです。
当社に対する対応にも変化が表れ始めました。
当社はインターネット経由の販売を主力にするまでは大手ライフスタイルショップを始めとする販売店に商品を卸すビジネスが中心でした。
取引先及び取引額が大きくなればなるほど相手側の要求も過大になります。
取引額の多い大手販売店は、自社が販売したい商品の数量を確保するように当社に要求をしてきます。
しかし、ある期間に数量確保を要求してきた商品を、その期間を過ぎても捌けなかったとしても、販売店は一切の買い取り保証はしません。
一方で、その期間に数量確保をしておらず欠品した場合はペナルティーを要求してきます。
日本の販売店と仕入れ会社の流通形態はとても歪な関係で成り立っているのです。
販売店は基本的に一等地に店を構えているだけで、そこで販売される商品に関するリスクは一切取らないのです。
当社の商品に関しても単に展示してくれているだけで、注文はお客様がお買い上げになった分のみ注文してくる『委託販売』という、日本独特の旧態依然とした販売店側が一切のリスクを取らない販売形態です。
それ故、当社の場合商品の開発リスク、生産リスク、為替リスクを含めた輸入リスク、在庫リスク、販売リスクを全て負っていました。
それでいて、大手販売店は自分達が売れるであろうと思う数量の大方三割り増し程度の在庫を確保しておく様に要求してくるのです。
自分達でリスクを全く取らないわけですから何でも自分達に都合の良い要求を押し付けてくるのです。
それ故、当社としては他のルートで捌ける商品を在庫しているにも関わらず、他のルートでは販売できず、その販売店のために取り置きしておかねばならなかったのです。
取り置いた商品をある一定期間が過ぎたら責任もって買い取ってくれる場合のみこの取引形態は成り立つのです。
しかし、ある一定期間を過ぎても引き取ってくれない場合は、当社としてはみすみす他のルートで販売可能の商品を抱えたままの状態になってしまいます。
有力な大手取引先が増えれば増えるほど当社が取り置かねばならない在庫量も増えます。
その在庫を新しい銀行の当社担当部門が不良在庫とみなしたのです。
合併前の銀行の担当部門は日本の流通形態を良く理解してくれていましたので、当社の在庫が不良在庫でないことは良く分かってくれていました。
新銀行の担当部門も当然のことながらそれは良く分かっていたはずです。
しかしバランスシート上では在庫数が多くなっており、バランスシートだけを見ればどんな理由でもつけられるのです。
本来の不良在庫というものは市場で売れずに在庫が溜まる状態を指します。
しかし、当社の場合は大手取引先の要求で取り置いているだけで、他のルートでは幾らでも捌ける在庫を銀行は敢えて不良在庫という見かたをしたのです。
更に代表者の私が長期入院していたことも非常に重視したようです。
私の想像ですが、恐らく銀行は独自に調査して私の余命がいくばくもないという判断もしたのだと思います。
それ故、当社に対する見かたを厳しくして融資方法を見直すための『大義名分』として当社の在庫に目をつけたのです。
そして、それを最大の理由に当社に対する融資方針を見直すという理論武装をしてきたのです。
私はすぐさま銀行に乗り込みました。
癌の三大治療を受けて2008年12月の28日に退院しましたが、2009年の年明けの最初の営業日には既に銀行に出向きました。
放射線治療の影響で全くといっていいほど声は出ませんでしたが、私が無事であることを見せることと銀行が当社に対する融資方針を見直したことに対する遺憾の意を表明し、融資方針の変更を撤回させるためでした。
主治医からは自宅で安静にしていなければいけないと指示されていた時期でした。
しかし、会社の未来をかけた銀行との闘いのために私には一刻の猶予期間もありませんでした。
つづく