癌との闘い-19(銀行との闘い)

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本『癌との闘い』の連載は、2008年8月から2010年12月までの二年間に亘る闘病記です。

以下は2月15日投稿の癌との闘い‐18のつづきです。


2008年の12月末に退院してからは、入院中に世の中が一変して100年に一度の大不況の荒波の中で一変した社会に立ち向かうことと、経過観察のための通院に追われる日々の連続でした。

会社の方は、私の長期入院がきっかけに取引メイン銀行の当社に対するに対応に変化が見られてきたという報告は財務責任者から聞いていました。

しかし、私は当初銀行が単にサブプライムローン問題から端を発しリーマンショックへと波及していった金融危機のために銀行が慎重になっているだけだと思っていました。

なぜなら、取引銀行と当社との関係は創業以来良好そのもので、歴代の当社担当役員、担当支店長なども必要資金は幾らでも用意するので私のコンセプトを世の中に広めて欲しいと言う要請を受けていたからです。

私のコンセプトに基づいた商品の開発、市場戦略に必要な資金は創業以来一度の例外も無く全て銀行の方から積極的に融資を実行してくれ、銀行側からも

『自分たちのことを貴社の財務部門だと思って欲しい』

とまで言われていたのです。

時代の流れと共に都市銀行が生き残りを図るために合併して行きましたが、当社の取引銀行も他の都市銀行と合併しました。

メガバンク化していく過程においても当社の実績に裏付けられた銀行との関係は友好そのものでした。

しかし、世界同時不況の煽りを受けて当社の対販売店向けの売り上げが悪化したことと私の長期入院で銀行の当社に対する態度に変化が表れたのです。

当社の取引銀行が合併した相手とは表向きには対等合併と言われていましたが、実際のところ相手側銀行主導の合併だったのです。

その合併の中で元当社の取引銀行の幹部の面々が徐々に表舞台から去り、当社とは関係のなかった合併した相手先銀行のメンバーが主流になっていたことも当社にとってはマイナスの材料でした。

いずれにせよ、私が入院している間に当社に対する融資方針の変更が見られたため、退院直後から他の銀行との取引を増やすための交渉や、銀行以外の資金調達先を開拓するために東奔西走する日々を送りました。

退院間もなくまだ主治医からは自宅で安静にしていなければならないと指示を受けていた時期の話です。

当時当社の売り上げは販売店経由の売り上げと独自のインターネット・ウェブサイト経由の売り上げがほぼ同額でした。

販売店経由の売り上げは大幅に落ち込んでいましたが、インターネット・ウェブサイト経由の売り上げがその分をカバーしていました。

しかし、インターネット・ウェブサイトの構築費用及びインターネット・ウェブサイト経由販売する商品と販売店経由販売する差別化商品の開発費用として自己資金の投入と10億円を超える銀行融資を受けていました。

インターネット・ウェブサイトの斬新的なものを構築したことにより当社の販路は大幅に広がりをみせていました。

それに伴いそこに供給する商品も大幅に増え、当社としては大きくなった販路に商品を供給し続けるために生産を拡大する必要がありました。

新たに築き上げたインターネット・ウェブサイトに従来を遥かに上回る大量の商品を投入して会社の売り上げも大幅に拡大してきました。

2013年に株式を公開する計画に基づき会社は成長していたのです。

しかし、その新たなマーケットに供給する商品が無くなれば会社は当然のことながら先細りになってしまいます。

そして、新たな商品を調達する資金の融資方針を銀行が変更したのです。

毎月のように癌の再発、転移が疑われ検査を受けながら、そしていろいろな身体症状を抱えながら、取引銀行にはしごを外されたことによる新たな資金調達先を求めるための活動を続けることは本当に想像を絶するものでした。

癌の再発、転移の恐怖と闘うのと同時に、会社のための資金調達が上手く行かないと会社の先行きが危ぶまれるという不安感とも、来る日も来る日も闘い続けました。

私は、創業以来良好関係になった銀行に最悪の時期にはしごを外されたことを踏まえ、金融機関の融資を頼っている経営だといつ同様のことが起こるか分からず、銀行融資に頼ることなく幅広く増資を募り経営基盤の安定を図る方針に切り替えることにしました。

そして当社コンセプトの説明のために日本各地を回りました。

その結果当社のコンセプト、将来性を評価して、多くの投資家より銀行が融資を渋った分を遥かに上回る資金調達が出来る運びとなりました。

その安堵感もつかの間、退院後約一年強の闘病生活と仕事の重圧で私の心身はボロボロになっていました。

つづく

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 癌との闘い タグ: パーマリンク

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