癌との闘い-18(主治医との関係)

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本『癌との闘い』の連載は、2008年8月から2010年12月までの二年間に亘る闘病記です。

以下、2月8日投稿の癌との闘い‐17(医師のさまざまな発言)のつづきです。


私は主治医、副主治医にはとても恵まれていたと思います。

最初、左首の腫れを自宅の近所のクリニックでは筋肉の内出血と言われました。

処方された薬を服用しても腫れが引かなかったので再度診察を受けに行った結果紹介されたのがY病院の耳鼻咽喉科でした。

そして初回の診察で即座に左首の腫れを

『中咽頭癌が左首リンパ節に転移したもの』

といち早く私の病気を見抜いてくれたのです。

その後の治療、手術の方法に関しても私が判断しやすい説明をしてくれました。

経過観察の時期に身体のいろいろなところに異変が現れだしてからも、的確に関係医局の受診予約を取ってくれました。

専門分野はあくまでも耳鼻咽喉なので、その他の部位に関しては当該医局に紹介するしか手立てがないのです。

しかし、それから先の医局は医師によって対応が全く異なりました。

主治医のコンピューターに打ち込んだデータを参考にしつつも、私に直接いろいろな質問をして検査を進めてくれ、癌の転移が無いと分かると、考えられる身体の症状に関する所見を述べ、その上でフォローアップ検診を行うクリニックを紹介してくれた医師もいました。

しかし、そのようなケースは稀でした。

多くの場合は、打ち込まれたデータを見て癌の転移があるどうかの検査を行い、転移が無ければその後のフォローアップはY病院と提携している当該部位の専門開業医を紹介されました。

極めてビジネスライクな対応で、患者との対話も身体症状に関する独自の所見も無く、癌の転移がなければ、自分たちの仕事は終わりという感じでした。

他の医局でのやりとりに関しては主治医にも何回も伝えました。そして、どこかの医局で私の身体全体のことを把握して貰えないかと頼んだ事も一度や二度ではありませんでした。

そういう時に、非常に困った顔をして

『都倉さんの気持ちは良く分かりますが、現在の医療制度ではこの方法しかないのです』

と言っていたのが印象的です。

つまり、Y病院には私の身体の全ての状態を把握している医局が存在しなかったので、私の身体は部位ごとに専門医局で個別診察していたのです。

しかし、これはY病院に限ったことではなく、多くの日本の大病院も大同小異です。

外来で一日100名を超える患者を診なければいけなく、

『・・・の医局が当病院では儲け頭』、『なになに先生は何歳で部長になった』

などという医師の言葉も聞いたことがあります。

人間の命をあずかる病院で、各医局が一般企業のような営業成績のノルマを課せられ、医師の間で出世競争が繰り広げられているのでしょうか?

もしそうでしたら、現行制度は患者のためのみならず、医師が本来の医師としての姿を取り戻すためにも改善されなければならないと思います。

多くの医師は医療の道に進むと決めた段階では大きな使命感を持っていたのでしょう。

しかし、現行の医療制度では、どれだけ短時間で多くの患者を診る事が出来るかが最優先されていることは否めないと思います。

これでは、医師が積極的に患者との対話時間を増やすことや最新の医療を取り入れるための勉強をする時間を作る事は難しいでしょう。

更に、医師自身に余ほど強い使命感がない限り、患者に対して

『自分が診ているのは病んだ患部、臓器ではなく心をもった一人の人間を診ているのだ』

という医師としての一番大切な自覚を持ち続ける事は困難なのではないでしょうか?

つづく

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 癌との闘い タグ: パーマリンク

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