希望

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ここのところ講演が幾つか続きました。

公演後の質疑応答の時も、日々私に寄せられるお便りの中でも、大病を患ったことにより健康的な理由で希望を失っている方々と、それによって経済的な苦境に立たされて先行きに大きな不安を抱えている方々が少なからずいらっしゃることが分かります。

そして、それが更に心身に悪影響を及ぼしているということも良く理解出来ます。

その中で、何故かしら多くの方々は経済面での苦境に関しては、私には無縁のことだと思っていらっしゃる様です。

理由は分かりませんが

『経済的なことに関する不安は都倉さんには無縁のことと存じますが』

とか

『生活の不安に関してはお分かりにならないとは思いますが』

という発言や記述が多いのです。

そこで今日は私の辿ってきた経済的な状況についてお伝えしたいと思います。

私は清貧に甘んじた戦前の外務官僚の三男として生まれました。

父は生前

『自分は50.歳になるまでどうしたら日本が少しでも良くなるかと言うこと以外の個人的なことは考えたことがなかった』

と、幾度となく真剣な眼差しで私に語っていました。

日本のために生涯を捧げた父親とそれを支えた母親には健全な教えを身をもって示してもらい感謝しています。

とは言え、確かに今日の食事のことを心配しなければならない様な生活とは無縁でした。

大学を卒業後就職した三井物産は日本企業の中では最高級の給与水準でしたし、三井物産を退職して独立起業した会社も2013年には株式を上場する計画で発展していました。

株式を上場したら社員全員に株式上場益が行き渡る様に計画を進め、私自身は上場益は家内との老後の蓄えだけ残して後は全額会社と社会に寄付して第一線から退く計画でした。

しかし、2008年に私の身体にレべル4の癌が発見されて全ての計画が大きく狂いました。

余命が長くないという判断の下に2010年5月に会社を清算しましたが、清算にあたり上場益を社員に分配できないことに対するせめてもの償いとして私財を全て処分して法律で認められている最高限度額を社員に分配しました。

私に残ったものは

会社も私財も健康も失った日々だけでした

そして、日を追うごとに忍び寄ってくる死の影に怯えながらつくづく自分の人生は終わったと思いました。

現在の私を見てよく人は

『病気の似合わない人間』

と言って下さいます。

しかし、それは結果論であって先の見えない暗いトンネルの中にいた二年間余りは一つ一つ希望と欲を失って行きました。

そして、ベッドから起き上がれない日々が多くなって部屋の天上を見つめながら、人間はこうして生きるということに対する希望と欲を失った時に息を引き取るのだと思いました。

本当に最後の最後の一線で踏みとどまることが出来たのは幸いでした。

家族、日野原先生、友人、知人たちの支え無くしては踏みとどまることは不可能だったでしょう。

ですから、私は現在経済的な苦境に面し将来への希望を失っている方々の心情は痛いほど分かります。

ただし、皆さんが希望を見いだせる唯一無二の方法は、私の体験をご参考にして頂くのは幸いですが、

皆さん自身が失ったものの数と大きさを嘆くのを止めること

以外にないのです。

私も失ったものを嘆くことを止め新たに得たものに感謝出来るようになってから希望が芽生えました。

その時初めて、パンドラの箱に最後まで閉じ込められていた

希望と言う妖精

が躍動しはじめてくれたのです。

そうして、健康を回復していくに連れそれまでの価値観が一変しました。

それまでの人生で大切だと思っていたいろいろなことが、本当の意味においてはさほど大切なものでなかったと思えるようになりました。

キーワードは一つです。

失ったものは戻ってきません。

失ったものを数えるのでは無く新たに得たものを数え上げて見てください。

そこには必ず希望に繋がるメッセージが潜んでいます。


希望を取り戻した時、かつては単に綺麗なメロディーとハーモニーだと思って聴いていたブラザース・フォアの七つの水仙の歌詞が心の胸腺に触れとても深く心に染み入りました。


都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 健康 タグ: パーマリンク

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