希望

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私のところに日々届くいろいろなメール相談は、今月の月刊誌『致知』に聖路加国際病院の日野原理事長との対談が掲載されましたことによって、それまでの一日100通前後から大幅に増えました。

より深刻なお悩みを抱えていらっしゃる方々に対して私の体験談をお伝えできる機会が増えたことはとても幸いで、私の出来る範囲で何なりとお手伝いさせて頂きたいと思います。

一方、大病を患い闘病中の方でご自身が失ったものの大きさに関して私にいろいろ説明してくださる方も少なからずいます。

私の返信でその部分に対しては余り細かな記述を差し上げないために更に私に苦境を訴えてこられ、私のアドバイスを求められる方々もいらっしゃいます。

返信で一応私の考えは述べていますが、本日はこの場を借りて私の考えを詳細に書かせて頂き返信に代えさせていただきたいと思います。


先ず最初に私が申し上げておきたいことは、私は皆様方が『いきいき』若しくは『致知』などをお読みになって抱いていらっしゃる

『癌にも負けない強い心の持ち主』

でもなんでもありませんでした。

お便りを拝見していて多くの皆様方は当時の私より遥かに強い心の持ち主だと思いますし勇敢に病と戦っておられます。



私は2008年8月に中咽頭癌が左首リンパ節に転移したレベル4の進行癌が発見されました。

いきなり手術をすると手術範囲が余りにも大きいため最低身体機能の50%を失うと言われました。

当時2013年に株式上場を目指している会社を経営していましたので、社員のことを考えると私にはその選択肢は有り得ず、もう一つの選択肢である化学療法と放射線の併用治療を受ける決断をしました。

9月から11月に及ぶ過酷な治療を経て、中咽頭も左首リンパ節の癌も消失したと言うことで晴れて退院しました。

しかし、退院後の最初の経過観察で左首琳派切に怪しい細胞が見つかり精密検査をした結果微量ながら癌細胞が確認され、そのまま放置しておくとやがて増殖するということで急遽再入院して、左首リンパ節を全部廓清(取り除く)手術を行い2008年12月28日に退院しました。

私の癌は、発見された段階が非常に手遅れに近い状態だったこともあり、二年以内に転移再発する確率は80%以上で三回目の正月を迎えられることは微妙と言う所見でした。

2009年と2010年はほぼ毎月転移が疑われる様な日々を送り続け心身とも打ちのめされてどん底の状態に陥り、2010年夏には死がすぐ手の届くところに見えた時期もあります。

一つ一つ希望が失せて行き、最後に生きると言う希望を失った時に人間は息を引き取るのだと思いました。

その間それまで築き上げてきた多くのもの、そして失ったものの数の多さを数え自分の運命を呪う日々を過ごしました。

結果的に最後の最後のところで辛うじて踏みとどまることが出来たのは幸いでした。

しかし、繰り返しますが私は決して皆さんが思われているような最初から癌にも負けない強い心を持っていたわけではありません。

森の片隅の木陰で、野獣に襲われることを恐れて震えながら身を隠しているウサギの様に忍び寄る癌の転移の恐怖に怯える日々でした。

ベッドから起き上がれたない日々が続く中、天井を見つめながら自分に辛うじて残っている『生きるという欲』が無くなったら自分は息を引き取るのだろうと思っていました。

閉まりかかった心の扉が最後まで閉まらずに済んだのは多くの人達から頂いたたくさんの『優しさ』と『思いやり』でした。

それが『感動』を生み『勇気』が芽生え『希望』へと繋がりました。

そして失ったものの数を数えるのではなく病気をしたことによって新たに得ることの出来た価値観に感謝することが出来るようになってきました。

失った左首リンパ節、二本の腕神経以外にも私の身体には様々な闘病の爪痕が残っています。

34歳の時に患ったくも膜下出血の手術痕も右の耳の上から頭上まで続いています。

また、2008年に行った左首リンパ節の廓清手術のため左耳下から縦に30cm、途中からあごの下にTの字に入ったメスの痕、更に今回の左鎖骨上リンパ節の手術痕はまだ生々しいです。

髪の毛を坊主頭にして上半身だけ裸の写真を見たら『その筋』の人も一目置いてくれるかもしれません(笑)


今では闘病前に自分にとって大切だと思っていた多くの事柄は本当の私の人生の中ではさほど重要なものでは無かったと思っています。

私を立ち直らせてくれたものは

『失ったものの数を数えることではなく新しく得たものを感謝できるようになった考え方でした』。

そしてかつて何度と無く自分に言い聞かせてきた言葉を言葉としてではなく身体で実感できた時からでした。

『過去と自分以外は変えられない。変えられるのは今の自分だけ』

という先人の残した言葉です。

お便りを下さる皆さんの辛さは私は自分の闘病を通じてしか本当の意味で理解することは出来ません。

しかし、我々が大切にすべき共通したキーワードはお伝え出来ます。

希望は

『失って戻ってこないものの数を数えることを止めて、新たに手にしたものを数えられる時から芽生える』

ということです。

お互いにパンドラの箱の中に最後まで取り残された

『希望という名の妖精を』

大切にして生きて行きませんか?















都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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希望 への2件のフィードバック

  1. 碓田 拓磨 のコメント:
    都倉 亮様

    その節は青山一丁目カイロの山口先生と楽しいひと時をありがとうございました。

    さて、本日は不躾とは知りつつも、都倉さんにお願いがあってメールいたしました。
    単刀直入に申しますと、都倉さんに座っていただきたい椅子があるのです。
    もちろん都倉さんの体調のことやご都合もありますから、もし事情が許せばという前提でのお願いです。

    その椅子についてですが、私が長年温めてきた「体に負担の少ない姿勢を維持する椅子」のアイデア(理論)がありました。
    その話を1級建築士の知り合いにしたところ、私が思いもよらなかった素晴らしいアイデアをつけ加えて、椅子(試作品)を作ってくれたのです。

    椅子の特徴は、まず「背もたれ」が90度で傾かない構造になっています。さらに座面に工夫がしてあって、坐骨が座面に引っかかることで、骨盤が後ろに倒れないようになっています。

    それにより、座っただけで背すじが伸びる(S字弯曲が作れる)椅子なのです。
    結果的に、体に負担をかけない姿勢を維持できるので、肩こり・腰痛に絶大な効果を発揮しそうなのです(私はIT企業などで慢性的な肩こり・腰痛に苦しんでいる人を救えると確信しています)。

    実際、今回の本の執筆を肩こり知らずでできたのも、この椅子のお陰でもあります。

    そこで、私はこの椅子を世の中に送り出したいと思っているのですが、可能であれば都倉さんに座っていただきご意見を伺いたいと思っています。

    作り手の贔屓目ですが、ひょっとすると大きく羽ばたくのではないかと思っています。

    説明不足な所があるのは重々承知していますが、文章で説明するよりも実際に見て、座っていただくのが一番だと思っているので、その機会を作っていただけたら大変嬉しいです。

    座っていただく場所ですが、都倉さんの都合の良いところ何処へでも椅子を持参します。
    ご迷惑でなければ都倉さんのご自宅でも結構です。

    日程は、近いところで1月26日(木曜)の午後から夕方まで、2月2日(木曜)の日中(朝から夕方まで)、2月4日(土曜)の午後(3時以降)、2月5日(日曜)などが候補日です。

    上記の日程であれば、時間や場所は都倉さんのご都合に合わせます。

    もちろん、これ以外の日程でも調整させていただきます。

    勝手を言って申し訳ございませんが、なにとぞよろしくお願いいたします。

    虎ノ門カイロプラクティック院
    碓田 拓磨
    • 都倉 亮 のコメント:
      メールにて返信しましたが、26日の午後、27日なら虎ノ門に伺えます。

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