真の思いやり

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今朝早い時間に起きたら一段と冷え込んでいるのを感じました。

窓の外を見ると何と雪が降っているではないですか。

雪といってもどちらかというと霙(みぞれ)で昨年末からずっと続いている乾燥状態にお湿りを与えるという意味では大いに歓迎すべきことでしょうが、私の手術痕にはこの冷え込みはとても堪えます。

昨年9月に左鎖骨上のリンパ節に転移した癌を廓清(取り除く)手術をした後、化学療法と放射線治療の併用治療を受けました。

手術をした後に放射線治療を受けたことも影響して、いまだに傷口内部がくっついていない空洞状態です。

それゆえ、傷口の上から圧迫して自然に傷がくっつくような処置をほどこされていますがなかなか思うようにつかないので、もう少し様子を見てくっつかないようですと傷口をくっつけるための手術が必要になるかも知れないとの所見です。

さて、寒さで思い出すのは何と言っても昨年11月と12月に訪れた仙台の被災地のことです。

いずれの時も現地で話をさせて頂く機会に恵まれました。

私には被災者の方々が受けた苦しみは表向きには理解しているつもりでも本当の意味では理解し得ないので、いたずらに地震、津波によって被られた被害に対するお悔やみを述べるよりも私自身の2008年8月から始まった二年間に及ぶ『癌との闘い』で体験したことをお話させて頂きました。

毎月の経過観察で転移が疑われ、その度にその部位の精密検査をいちから行うということがほぼ二年間続きました。

検査結果が出るまでの不安や次から次へと転移の疑いの出てくる経過観察に疲れきり、2010年の夏には体重が15キロも減り死がすぐそこの手の届くところに見えた時期がありました。

ひとつひとつ希望と欲を失って行きました。

そして起き上がれない日々が続きベッドの上から天井を眺めつくづく思いました。

『人間こうやって一つ一つ希望と欲を失って行って、最後に生きることに対する希望と欲を失った時に息を引き取るんだろうな』

と。

私に立ち直りのきっかけを与えて下さったのは、私の敬愛する聖路加国際病院の日野原理事長から2010年の初秋に頂いた一本の電話でした。

それから数日後に聖路加国際病院の理事長室で日野原先生にお目にかかった際に勧められたのが私の半生を手記に纏めることでした。

ベッドから起き上がるのもままならないような心身の状態でしたが、約三ヶ月かけて纏め上げることが出来ました。

一ページ400文字換算で約250ページの手記になりました。

その後加筆訂正を重ね本のボリュームも350ページほどになりました。

内容も現在のものに比べると最初に纏めたものは小学生の作文みたいなものに思えますが、その初期に纏めたものを日野原先生が非常に高く評価して下さり、出版社をいろいろ紹介して下さいました。

出版社の印刷設備が震災で被害を受け出版の話が足踏み状態になっていたところに複数の月刊誌から私の闘病生活を取材したいという申し入れを受けました。

昨年9月の『いきいき』を皮切りに今月の『致知』などにインタビュー記事や対談記事が掲載されました。

出版の話が予定通り進んでいたら『いきいき』や『致知』の話があったかどうかも分かりませんし、ましてやブログを書いてそれをフェースブックやツイッターに連動させるようなことは無かったと思います。

今では私のもとに日々多い時には200通ぐらいのお便りがよせられますが、その多くは『いきいき』、『致知』、フェースブック、ツイッターで私のことを知った方々らからのお便りです。

つくづく世の中自分の考えている通りにはならないとおもいました。

日野原先生には最初から現在に至るまで私の闘病生活に対する直接的な同情のお言葉を頂いたことはありません。

しかし、常に限りない『真の思いやり』で接して頂きました。

日野原先生と対談を希望する人たちは日本中に幾らでもいる中、『致知』の対談の相手に私を選んでくださったのも先生の『真の思いやり』だと思います。

そしてそれによって日野原先生が私に託された無言のメッセージの大きさもしっかりと受け止めさせていただきました。

同じ経験をしていなければ言葉の上で同情をしても相手の心の琴線に触れることはないことを日野原先生は良くご存知なのでしょう。

それゆえ言葉ではなく振る舞いで私に大きな希望を与えてくださり続けたのです。

さて、11月の被災地での話を終えた後、Jリーグのベガルタ仙台対ヴィッセル神戸戦を現地で世話してくださった方々と観戦しました。

Jリーグのサッカー観戦は好きで時折していますが、サッカーの試合の場合ホームとアウェイでは扱いに天と地ほどの差があり、ホームチームに対する熱烈な応援に比べアウェイチームに対いする冷淡な扱いは時には度を越していることもあります。

しかし、当日のヴィッセル神戸戦は様相が全く異なりました。

普段は相手方チームに対してはブーイングの嵐ですが試合前に一瞬静まったスタジアムに写し出されたのはヴィッセル神戸と神戸市に対する感謝の映像でした。

それは、17年前に阪神淡路大震災で被災した神戸市とJリーグのチームの中でいち早く東日本大震災の被災地に手を差し伸べたヴィッセル神戸に対する感謝の映像でした。

神戸が瓦礫の山の中から徐々に復興していくシーンが映し出されました。

そして今回の震災直後にヴィッセル神戸の選手たちがいち早く街頭に立って義援金集めを行ったことに対する感謝の意を表した映像でした。


その後ろに流れた美しい曲

『しあわせを運べるように』。

感動して涙が止めどなく流れ続けました。

言葉は多くいらないと思います。

真の思いやりとそれに伴う最初の一歩を踏み出すことだけで十分だと思います。


Youtubeで検索してみました。

当日使用されたものとは異なりますが、ハーモニーが素敵な別のアーチストの歌っているものをご参照下さい。


都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 日記 タグ: パーマリンク

真の思いやり への2件のフィードバック

  1. 穴澤 百合子 のコメント:
    「致知」の対談拝見いたしました。
    都倉さんは「不幸中の幸い」・・・日野原先生のサポートが予後を大きく左右していると思いました。
    都倉さんご自身の生命力も素晴らしいものがあるのでしょうね。
    仮に都倉さんと同じ病気になった方がいらしても、日野原先生のサポートなくして同じ結果を生み出す事は到底できないと思います。
    都倉さんが「見えない何かに生かされている・・・」と表現された意味が理解できました。
    日野原先生と連絡が取れるタイミングなどは、神様の手助けがあったのでは?と思いました。
    危機的状況の中、日野原先生との対談の話が有ったのも何かの働きを感じます。
    そして、都倉さんを支えておられるのは、ご家族との強い結び付きなのでしょうね。

    私は祖父二人と父を癌で亡くしました。・・・私自身もある癌の前癌状態の病気(難病指定)に13年前に診断されています。
    癌に進行した時に、どんな治療を受けるのか?どこの病院で手術を受けるのか?昨年の秋は医師探しをしていました。・・・幸い信頼出来る医師に相談する事ができました。

    今できる事は免疫を高める生活をして、癌に移行しないように注意する事だとアドバイスを頂きました。
    皮膚科・泌尿器科・産婦人科などいくつかの科が関わってくるので、都倉さんのブログを参考にさせて頂いています。

    都倉さんが、少しでも生活がしやすくなることを願っています。
    • 都倉 亮 のコメント:
      古来より人は自分では理解出来ない人生の動きをいろいろな窓を通して解釈を試みてきたのだと思います。

      宗教という窓を通してみればそれは『神の業』、

      科学という窓を通してみればそれは『宇宙の力』、

      哲学という窓を通してみればそれは『サムシンググレート』

      などでしょうか?

      いずれにせよ闘病生活を通して人事(ひとごと)では絶対にありえない多くの体験をしてきたことは確かです。

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