盲目の天才少年ジャズピアニスト

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今朝の6時のNHKニュースの特集で

『10歳の盲目の天才ジャズピアニスト』

の少年の特集を報道していました。

同君はニューヨークのハーレムに在住している生まれながらの盲目の少年ですが、ジャズピアノを始めたのはわずか二年んまでであるにも関わらず、やはり盲目の天才シンガーソングライター

スティービーワンダーの再来

と言われ全米のみならず世界的にその高い才能が注目されているそうです。

5分ぐらいの特集番組を食い入るように見ましたが、同君の曲の覚え方はまず曲の演奏を聴いたら瞬時にそのメロディーを記憶することのみならず、その曲を自分なりに解釈して独自の解釈に基づいた演奏をするのです。

たった一回聴いた複雑な曲をです!

同君を指導しているプロの演奏家のコメントも紹介されていましたが、同君の才能と将来性には大きな期待を抱いていました。

この少年の場合、目が見えないという先天的なハンディキャップを負っているわけですが、そのハンディキャップを補うべく驚異的な記憶能力や物事を吸収する能力が代替能力として発達したものだと思います。

人間の身体の七不思議は私自身闘病生活を通していろいろ体験しましたが、ある機能を失うとその分他の機能が発達するという体験もしました。

2008年8月に中咽頭癌が左首リンパ節に転移したレベル4の進行癌が発見され、化学療法と放射線の併用治療、手術と三ヶ月の間に癌の三大治療を全て受けました。

中咽頭とは簡単に言うと喉の奥の扁桃の部分です。

この部分の癌に放射線治療を施すと、一言で言うと口の中と喉の上の部分が大火傷するのです。

治療を受ける前に主治医からも、ありとあらゆる放射線治療の中で当外部位の放射線治療は一番の痛みを伴う治療と言われていましたが、その治療の苦痛度合いは想像を遥かに上回るものでした。

同じ時期に同じ部位の治療を受けていた患者の中には、こんなに辛い治療なら受けないほうがましだと言っていた患者も一人や二人ではありませんでした。

更に放射線治療は癌細胞も消失させる効果がありますが、健全な細胞にも大きな影響やダメージを与えるのです。

私の場合は味覚を失い、二年間の間は食事というものは単に生きるための栄養補給手段以外のなにものでもありませんでした。

最初は『塩味』以外の味覚は一切無く、入院中に差し入れてもらったプリンやアイスクリームの甘味を引き出す為に含まれている微量な塩分のみ舌が感知し、プリンやアイスクリームが塩辛く感じました。

味が少し分かるようになってからも、甘味、塩味、苦味、酢味は分かるのですが旨味などは分からず、尚且つそういった味が混ざりあって演出される

いわゆる最終的な料理の味

などは分かりませんでした。

それゆえ、薄味の和風ものは殆ど味が分からず、トマトソースはトマトの酸味、カレーは一番強い香辛料の味、キムチは唐辛子の刺激的辛さのみ分かるという感じで、コーヒーに至っては単なる苦いお湯でした。

元来おいしいものを食べることが人生の楽しみの一つであった私にとって食べることの喜びが奪われたことは、想像以上に辛いことでした。

行きつけの馴染みの店にも足が遠退くようになりました。余りにも味が違って悲しくなるからです。

しかし、その間以外な発見が有りました。

それは、味は分からなくとも素材の良し悪しが喉ごしで大体分かるようになったのです。

味覚を失っていた期間に唯一定期的に行っていた二件のお店が有りました。

一件は焼鳥屋でもう一件は焼肉屋です。

両店ともこだわりの素材を妥協なく使い続けることで有名な女将と対象がひきいるお店ですが、その素材の良さが味はわからない分、全て喉越しで分かりました。

『あそこの焼鳥と焼肉は喉ごしがよい』

と言うと皆奇妙な顔をしていましたが、それくらい喉の感覚が鋭くなっていたのです。

昨年になって徐々に味覚が回復し、今では90パーセントぐらい回復したと思っています。

行きつけの店にもまた顔を出すようになり、お店によっては全盛期の頃なみに行くようになりました。

やはり、喉越しの美味しさより、舌で感じる美味しさの方が幸せを感じますね(笑)

今年は国内のいろいろな地域に行く予定です。

それぞれの地域の郷土料理を食べるのが今から楽しみです(笑)






都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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