質問に対する回答

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本日のブログは、お便りを頂いている現役の学生や入社数年して、自分の今後の進路や日本の将来に関して問題意識を持っている方々の質問に対して、可能な限り私なりの考えを述べる場にさせていただきたいと思います。

皆さんがたの個別の質問に対する私なりの見解を述べると一冊の本になると思います(笑)

しかし、私には若い皆さんが日本の将来に対する強い問題意識をもっていることは何よりも嬉しく、ブログで私なりの考えを発信続けている事に対する責任と使命感を新たにさせてくれるものです。


さて、日本社会の構造に対する日々のニュースを始めとするメディア報道を見聞きして、いろいろな問題意識を持つことは、とても大切な第一ステップだと思います。

出来ましたら、インターネット、SNSを駆使して海外の報道を同時並行的に入手して、客観分析をする習慣を若いうちから身につけるようにしたいものです。

そして、SNSで海外に積極的に友達を作っていけば、否応無しに語学の勉強にもなり、生きた語学が身に付くようになります。

私の闘病のことを知りお便りを頂きました医学生、インターン、現在の日本の医療体制に疑問をお持ちの医師の方々に対しては、私は日々のブログで現代日本の医療体制に関する私の見解をかなり明確に述べていますので、本来の医療のあるべく姿及び方向性を考えて頂く参考になれば幸いです。

一回のブログで全てを語ることは出来ませんので、二回に別けてお便りに対する私の考えを述べさせて頂きたいと思います。



現在私は、大きな病気を煩っていて私ににお問い合わせを下さる方々への私の体験の中からのアドバイスをすることを最優先しております。

皆さんも悩みや第三者に対して伏せておきたいメッセージ以外は、フェースブックの私のブログにコメント頂ければ、お問い合わせ内容によっては、私よりも適格なアドバイスをしてくださるフェースブックの仲間たちも居ますので、遠慮なくコメントを下さい。


今日は先ずは、お問い合わせの中の最大公約数である私の目に映る現在の日本の姿に付いて述べさせて頂きます。


私は日本民族は、優秀な頭脳を誇り、長年培ってきた独自の歴史と分化を兼ね備えた世界の中で類稀なる民族だと思っています。

但し、私のブログの根底に流れる大きなテーマでもありますが、残念ながら日本社会は全てのレベルにおいて

『同じ類で群れあい、異質なものを受けいれられない体質』、『全体の利益より自分の属している集団の利益を最重視する』

村社会の体質が深く根付いていて、私はこの『村社会的体質』が現在の日本を閉塞感に陥らせている大きな要因の一つと、本当の意味で世界市民の一員になれない要因だと考えています。

さて、日本の長年の民族の歴史の中にはいろいろな出来事が起こり、必ずしも全てが誇れる歴史とはいえない部分も有ると思います。

しかし、大切なことは現実から目をそむけることなく負の歴史の部分も隠蔽することなく客観的に受け止め、反省すべきところは反省して、後世に向けてより良い伝統を引き継げるようにすることがその時代に生きている人間達の最大の責務だと思います。

今もそうだと思いますが、私の時代の日本の学校の歴史の授業は、卒業したら直ぐ忘れてしまうような鎌倉幕府がいつ設立されたなどの暗記物には時間を割きますが、明治維新前後の近代史はおろか江戸幕府が樹立するぐらいのところまでしか学びませんでした。

明治維新前後から現在に至るまでの近代史の勉強は、14歳になるまで11年間海外生活を送った私にとっては、日本を知るうえで必要不可欠なことでしたので、独学でかなりの勉強をしました。

明治維新以降第二次世界対戦前の日本の歴史に関しましては、各位なりに近代日本史の把握の為に理解を深めていただきたいと思います。

第二次世界対戦後の日本の姿に関して、私の見解の大要を説明します。

敗戦を受け、日本は米国主導の憲法を制定して国の統治を行うことを余儀なくされました。

軍備に関する現在の米国の本音は建前とは全く異なりますが、第二次世界大戦直後の米国の最大の目的は、日本の再軍備化を防ぐことと、日本を民主主義国家として樹立させることにありました。

前者に関しては、憲法第九条で自衛隊の役割が規定されていますが、その解釈の仕方は諸説紛々としていて、既存の各政党もばらばらなことを主張して一般国民には分かりにくい、時には不毛ともおもえる議論が繰り返されています。

憲法が制定された時代と現在とでは、世界情勢は一変しています。

当時誰も夢想だにもしなかった、国際的な武力テロを始めとする拉致問題や日本の領海の侵犯などに対しても、現在の憲法では自衛隊は目の前で起こっていることでも、手をこまねいて見ていることしか出来ないことが多くなっています。

私は東西の冷戦の真っ只中のドイツで14歳になるまで11年間過ごしました。

10歳から14歳まではその東西の冷戦で一番緊張感が高かった現在のドイツの首都ベルリンに住んでいました。

当時は、有名なベルリンの壁で西ベルリンと東ベルリンに分断されていて、西ベルリンは米、英、仏により守られ、東ベルリンは旧ソ連によって統治されていました。

そういう世界でもっとも緊張していた場所でアメリカ軍の兵隊の子供達が通学するアメリカンスクールに通学しました。

常に周りを取り巻くぴりぴりとした緊張の中で、子供心にも自然と国が分断されたり他国に統治された国民の悲哀と、国と国民を守ることが国家として、何にも勝る再重要事項であると言う認識が高まりました。

それゆえ、帰国してからは、日本人の国防意識の低さと日米安保条約に基づいて、国は米国が守ってくれ、日本人は経済成長に注力してれば良いと当たり前のように信じ込んでいる日本人の風潮に戸惑い続けました。

また、市民が自力で勝ち取った民主主義ではなく米国に与えられた民主主義というルールを国民が理解する前に高度成長による物質文明を謳歌し、国民が国政に対しても無関心で、本来は民主主義国家の根幹を成す国政選挙の投票率の低さにも危機感を覚え続けていました。

更に、日本の場合は特定の政党の支持率よりも、無党派層、詰まり特定の政党を支持していないという人が圧倒的に多いのです。

この現象は他の先進民主主義国家では極めてまれなことです。

それでは、無党派層の票をえるためのもっとも手っ取り早い手段は何でしょう?

それは、テレビの視聴率の高いバラエティー番組に定期的に出演して知名度を高めることです。

政治的な信念など関係なく、知名度が高いということだけで、無党派層の票を得ることができるのです。

きちっとした政策を理解して特定の政党を支持している場合は、単にバラエティー番組などのテレビ番組にに出演し続けている人間に投票することなどあり得ません。

この間までバラエティー番組に出ていた人間が国政に参加し、能力面、専門性の有無とは関係なく当選回数の多い議員が閣僚に任命されるという日本の政治は、私には異常極まりないものに映ります。

専門性がなければ失言もするでしょう。失態も演じるでしょう。

政治という国家の根幹を成す仕事を専門的な知識が有るか無いかにかかわらず、また、政治家としての資質が有るかどうかも分からないのに、単にテレビの露出度が高いというだけで、無党派層の票を得て、議員になったり閣僚になったりしているのです。

このような俗にいうタレント議員もしくは全くの政治の素人が親や親族が議員だったというだけで地元の票を得られるという、大名制度さながらの世襲の様な議員の選ばれ方は、本来の民主主義国家が模範としている議員の選ばれかたとは程遠い隔たりを感じます。

また、近代民主主義国家の国政選挙で日本ほど投票率の低い国は有りません。

米国の16代大統領のエブラハム・リンカーンが建国87年後の南北戦争の時に、ゲティスバーグの地で行った後世に残る名演説の中で述べている、

『人民の、人民のための、人民による政治が世の中から消えてはならない』

という言葉こそ、民主主義国家の根幹をなす姿を表していると信じます。

現代日本社会は、この民主主義国家の根幹である、投票を行うことによって国もしくは地方自治体の代表を選ぶ『人民の、人民のための、人民による』政治を行う権利を放棄しているのです。


先日、仙台の被災地を日帰りで訪れました。

写真のような姿が未だにいたるところで見られます。

震災直後、多くの外国人ボランティアが来日しました。

しかし、言葉が通じないと言う理由で現地入りを拒まれて東京で待機せざるを得ないでいることを複数の駐日外交官の人達から聞き、私は直ぐに

『私は四か国語に堪能』

と言うことを全面に強調して、現地での通訳ボランティアを申し出ました。

『渡りに船』と喜んで貰えると思っていたところ役所から帰ってきた回答は、『私自身が経過観察の身なので』現地入りは認められないと言う返事でした。

自衛隊員が昼夜を問わず寝食も忘れ、一人でも多くの人命救助の為に寸暇を惜しみ懸命な作業を続けていた時の話です。

その後、多くの海外ボランティア達は東京で待機している費用が底をつき、現地入りをすることなく帰国を余儀なくされた事実はマスコミ報道では殆どされませんでした。

駐日大使館員の間では、

『日本政府の、意思決定力の遅さを通り越した意思決定力の無さ』

を揶揄したり、オフレコードという前提で怒りを露にした熱血漢の若手外交官の話も直接聞くことが出来ました。

私に切々と語りながら目には涙を浮かべていた姿を見て、私は日本人として心からのお礼を述べるとともに、他国の人間がここまで被災地及び被災者のことを考えてくれるのに、自国政府の対応が後手後手に回っていることに対してで非常に大きな苛立ちを覚えました。

そう言う理由もあり、被災地には年内に何とか訪れたかったのです。

しかし9月に癌の転移が発見され、手術に引き続く化学療法と放射線治療のために8週間に亘る入院生活を余儀なくされたため、年内の被災地訪問は諦めていました。

しかし、退院後仙台を日帰り出来る調整がついたので、被災地の訪問が実現しました。

本日の写真は、当日私自身が撮った写真ですが、未だにいたるところに震災の爪痕が残酷に残っています。

第二次世界対戦後、日本国民は団結して少なくとも奇跡的な経済繁栄を成し遂げました。

しかし、その経済繁栄による物質文明を謳歌している裏で、多くの日本人の中で先祖代々伝統的に大切に受け継がれてきた日本の道徳観、価値観が薄れてしまいました。

私は、この代々受け継がれてきた道徳観や価値観は、必ずや現代日本人のDNAの中に残っていると信じます。

この度の大震災を日本人一人一人が、

『大自然の警告として受け入れ、国民が団結して未来に向けて日本が戦後歩んできた物質文明至上主義の道を修正及び改善して、未来に向けて引き継がなければ』

震災で犠牲になった方々は、浮かばれないと思います。


次週は、私の考える戦後の日本社会の推移並びに現代日本社会の姿を、具体的な例をあげて述べさせて頂きたいと思います。







都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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