致命的でない?

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今回の発熱による緊急入院は、手術痕の内部の肉と肉がくっついていない空洞に溜まっているリンパ液を外に排出する為に傷口に挿入していた、直径一ミリのチューブから細菌感染したことが原因だったという可能性が高いとう所見でした。

一言でいうと処置ミスだったのです。

それゆえ、医師団も二度と同じ感染を起こさせないための処置を講じ、今回はとても慎重で、昨日直径1ミリに換わる直径10ミリのチューブを挿入するプチ手術が行われました。

これによって、中のリンパ液の排出が促進され、早く内部の傷口がくっつくという公算です。

更にチューブを埋め込んだ周りを厳重にガーゼで圧迫して何重にもテープで固定されます。毎朝の診察時にリンパ液でぐちゃぐちゃになっているガーゼを替える時にテープをはがすのですが、テープが放射線治療で弱った皮膚にべっとりとくっついているため、とても痛いのです。

これに加え抗生剤の点滴が一日4回と徹底的に細菌を叩く対策が講じられています。

現在左手が余り自由にならず、右手に点滴を打たれると本当に両腕が使えなくなり、この間テレビを観る機会が増え、普段観ることのないワイドショー的な報道番組も何回か観ました。

先週の話ですが、時の防衛相に対する問責決議案が可決されたニュースをいろいろ報道していました。


防衛相が記者会見で、自民党などの提出する問責決議案に関し

『防衛相として本来の責任を問われるような致命的なものではない』

と辞任を拒否した一方で、沖縄問題で不適切発言をした前沖縄防衛局長に、沖縄県民に謝罪させるという趣旨のことを述べていました。

首相は更に参院予算委で、前沖縄防衛局長を

『更迭では終わらせない。厳しい処分をする』

と言明しました。

問責決議案が可決されても、防衛相は同様の主張を繰り返し、野党はもし政府が決議を無視すれば、来年の通常国会で審議を拒否して対抗する方針をも示しています。

問責決議案は、防衛相以外にも消費者行政担当相の不適切な献金の受け取りに対しても提出され、両大臣に対する問責決議案案が賛成多数で参議院で可決されました。

このままでは国会が空転することは必至ですから、今ごろいろいろ知恵を出し合い、『村社会特有の落としどころ』を見付けているのでしょう。

平たく言えば外国人のみならず、一般の日本人にも分かりにくい、当人たちが一番傷つきにくい辞め方探しのことです。このような愚行が戦後懲りることなく繰り返されて来たのです。

何も近年になって政界の体質が変わったのではなく、単に昔は今ほどメディアの報道が厳しくなく、国民も高度成長に浮かれていたため、

『ばれにくかった』

だけなのです。

多くの国民はこの

*派閥の推薦を受けた議員のその職務に対する知識、大臣としての資質の有無に拘わらず入閣させる。

*知識または資質がない場合は、当然の事ながら失言、時には一般社会では信じがたい言動をおこなう。

*マスコミ報道に端を発し野党の追求を受ける。

*辞任するか居直る。

*後者の場合は、野党が国会での審議を拒否する。

どちらに転んでも、付けが回ってくるのは国民に対してです。

この負のスパイラル学習されること無く繰り返されているのです。

日本は閣僚どころか、一国の首相が五年間で六人誕生する国です

政権を放り投げて辞める者もいれば、幾ら居座ろうとしても、自身並びに身内の失態で辞めざるを得ないものとそれこそ話題に事欠きません。

しかし、もし一般の企業で経営者すなわち社長が五年で六人代わったら、その会社は体外的な信用は維持出来るでしょうか?

今こそ全国民が真剣に日本のおかれている現状に対する正しい認識と、日本の将来に向けて何をしなければならないかを考え行動に移さねば手遅れになります。

私の病気はレベル4の進行癌でしたが、日本のおかれている状況はレベル3ぐらいでしょう。

傍観していては必ず手遅れになります。

私は20008年8月に中咽頭癌が左首リンパ節に転移したレベル4の進行癌が発見されてから3ヶ月で癌の三大治療をすべて受け、本年9月に左鎖骨上リンパ節に転移が確認されてから再び手術に引き続き化学療法と放射線治療を受けました。

しかし、この化け物みたいに勝ったと思ってもより強力な姿に生まれ変わり、闘いを挑んでくる難敵を二回撃破しました。

癌は人に移される病気ではなく自分自身の細胞が変化した病気です。

日本もかなりの難敵と闘かわねばなりません。それは日本社会の中に深く根付いている

『村社会的な体質』

を改善する大手術です。

しかし、こちらの手術は痛みは伴っても、国民の意識さえ変われば成功する手術です。

東日本大震災で犠牲になった方々は私達にその手術をすることの重要性と必要性に気づかせて下さったのだと信じています。






都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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