更迭人事

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私が直近でブログの題材として取り上げた話題の幾つかが、先週末の『その週の出来事を面白おかしく報道する番組』で取り上げられていました。

更に、今週になって同じような『村社会の論理』に端を発した出来事が連日トップニュースで取り上げられています。

余りにも自分達の属している『村社会の論理』で全てを語ろうとするそれぞれの出来事の当事者達の姿勢には、滑稽さを通り越し強い危機感すら覚えます。

この様な『それぞれが属している村社会の論理展開に歯止めをかけるのは』、もはや既存のメディアではなく、フェースブックを始めとしたSNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)の力を有効利用して行くしか無いのではないかと思っています。

因みに、ソーシャル・ネットワーク・システムは日本人の多くの人達に認知された言葉だと思いますが、私は基本的に日本語で表現できる場合は出来るだけカタカナ用語は使わないことを基本的な考えとしていますので、英単語の直訳ではなく実際のソーシャル・ネットワーク・システムの実態を日本語で表現すると『インターネットを利用した社会的網状組織』という訳にでもなるのでしょうか? かえって分かりにくいですね(笑)

既存のメディアでは片寄った報道が余りにも多く、同じ日本の出来事でも、日本のメディアの報道と、私が客観的な情勢分析のために情報源としている海外メディアの報道との温度差を切実に受け止めています。多くの日本国民が国内メディアの情報操作の中でしか日本及び世界の情勢を知ることが出来ない現状を踏まえると、独自の判断で客観分析をする方法はSNSを如何に有効利用するかに掛かっているのではないかと思います。

SNSはもはや数十年の独裁政治に悩まされていた中東を始めとする国々の市民革命の原動力となるまでの威力を持っているのです。

日本は独裁者による人民支配にこそ悩まされてはいませんが、先進民主主義国家の中で唯一国民が自力で勝ち取った民主主義ではなく、第二次世界大戦後に米国に与えられた民主主義というルールで国の統治を行ってきました。

しかも、国民がそのルールを理解する前に米国が日本の安全を守ってくれるという、極めて独立国家としては不安定な前提の上で経済成長のみに専念して高度成長を達成した結果、伝統的な日本人の中で代々培われてきた道徳観や伝統的価値観も薄れ、多くの日本人の価値観が物質崇拝一辺倒に陥ってしまったのだと考えています。

さて、二つの全く違った例ですが、最近起こったそれぞれ独自の『村社会の論理が酷似している出来事』を例にあげたいと思います。

一つは、私がブログでも取り上げました日本を代表する大手メディアが経営母体となっている野球球団の現場人事をめぐる話に端を発した球団代表の更迭人事で、他方は防衛省の沖縄担当の局長の不適格な発言に端を発した更迭人事です。

前者に関しては、更迭された元球団代表が外人記者クラブを始めとするいろいろなメディアを通じて内部事情を赤裸々に暴露したのに対して、球団の親会社の代表が『名誉毀損』で提訴するという展開に発展しているようです。

先ず、元球団代表が多くのメディアを通じて内部事情の暴露を行った内容は、球団現場の人事問題に加え、同代表と行動をともにすると明言していて同志と信じていた球団社長が前言を翻し急遽親会社の代表側に付いたことにより情勢が一変して、『典型的な村社会の中での村八分』の仕打ちを受け球団代表の職を解かれたというのが元球団代表の説明のあらましです。

内部事情は知る由も有りませんが、一連の構図は私が常日頃ブログで書かせていただいている典型的な『日本の村社会の内部構造』が浮き彫りにされただけで別に驚きませんが、折角外国人記者クラブで内部事情を暴露するなら、自身が英語ですべきだったと思います。英語が出来ないならすべきではなかったと思います。なぜなら、私は同代表が日本語で話したことが通訳を介してを英語に訳されているのを聞き、発言内容と訳されている内容ににニュアンスの違いがあり、果たして言わんとしたことの本意がどの程度正確に伝わったかは疑問に思ったからです。

一方、同代表の発言を『名誉毀損』として提訴するという親会社の代表で実質的な球団の意思決定者である村社会の長老は

『子会社の人事権は親会社にあると定款に記されており、親会社の代表である自分が人事権に口を出すのは当然』

と、平然として話していました。

この発言こそ全体の利益を最重視することなく自分の属している組織の利益を優先する典型的な『村社会の論理』だと私は思うのです。

この場合の全体の利益とは、言うまでも無く野球を愛するファンの利益だと信じたいですが、この双方の遣り取りにはファンの利益などというものは微塵も感じられず、自分達の村社会の中の利害関係だけで物事が語られています。

長年チームの人気と新聞の発行数が相乗効果をなして成長する過程に於いて、全く全体の利益と言うものを考えることなく、全て自分達の村社会の論理だけで物事を進められるという勘違いも甚だしい論理展開が繰り返されているのです。

私はこの場合の村社会の論理展開を止めさす唯一の方法は、同社新聞の購読者、同社の子会社の球団のファンが立ち上がって同社に『本来満たされなければならない最大の利益は自分達の利益』だと行動で分からせる以外には無いでしょう。

分からせる方法はとても簡単だと思いますがどうでしょう?

二つ目の例は、防衛省の沖縄局長が沖縄県民の感情をに全く配慮の無い発言を記者団との酒の席での対談で『オフレコ』という前提で話した内容がメディアに報道され、結果的に同局長の発言は言語道断ということで防衛大臣による更迭が決定されたという問題です。

発言内容が事実としたら、その局長の配慮云々以前の人間としての品位と良識を疑いますが、この局長を更迭した防衛大臣にその資格はあるのでしょうか?

ブログでも書きましたが、ブータン国王が『国賓』として来日した際の宮中晩餐会という本来最優先すべき晩餐会を欠席して、同僚議員の資金集めのパーティーに出席して

『こちらの方が大切なので、宮中晩餐会はサボって来た』

とこれまた平然とパーティーの席上の挨拶のときに発言したとの報道がなされていました。


この場合も発言内容の真偽の程は、後日同大臣が属している党から厳重注意を受けたと言うことですから『当たらずしも遠からず』の発言はあったのでしょう。

天皇陛下がご体調が不完全の中、退院直後から被災地の人達の見舞いに訪れ、被災者達に感動と希望を与えていらっしゃる中、同大臣の発言は厳重注意で済む発言なのでしょうか?

こちらの場合も同大臣の言動は適切でなかったと分からせる方法を『政治村という村社会』に任せるのではなく選挙民が決めるべきだと思います。

私の持論を繰り返しますが、我々一人一人が傍観者になることなく、各位が属している村社会の体質を変えていく努力をすることなく、日本の再生は有り得ないと思います。

難しいことでは無いと思います。

福澤諭吉先生の『独立自尊』の精神に基づき我々ひとりひとりが行動していけば、日本社会は『良い村の集合体』になると信じます。

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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