癌との闘い-10(年末ギリギリの退院)

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私が放射線/抗癌剤の併用治療を受けている頃から、テレビ、新聞ではサブプライムローン問題、リーマンショックに端を発した100年に一度といわれる不況に突入したというニュースが連日トップニュースとして騒がれていました。

当社もその不況の波をまともに被って販売店向けの売り上げが急減している事も、日々届けて貰っていた会社の売り上げデータ等で分かっていました。

辛い治療を受けながらそのようなニュースを見ることは本当に精神衛生に悪いことでした。しかし、会社のことが気になり、食い入るようにテレビのニュース番組、新聞の経済欄を追いかけていました。

手術後約一週間はそれも出来ず、自分の健康の事より会社のことが気になりましたが、基本的にはただ天井を見つめながら悶々としているしかない日々の連続でした。

社員の業務日誌だけは毎日見ていました。インターネット経由の直接販売はすこぶる順調でしたが販売店経由の売り上げが非常に悪く、大手販売店向けにノルマとして確保させられている在庫がかなりの負担になっていることも明確でした。早く退院して手を打たねばならないという焦りが手術後の体調に悪影響を与える事は分かりつつも、いても立ってもいられない悶々とした日々を送り続けるしかなかったのです。

日本の商習慣の弊害の一つは、大手販売店は独自の売り上げリスクに対しての責任を一切持たない『委託販売』という販売形態をとっていることです。お客様から注文が入った分だけ、納入会社に注文すると言う形で商売をしている会社が圧倒的多数でした。

大手販売店とそこに商品を納める会社との関係は非常にいびつな関係で、大手販売店は納入会社に独自で販売したい量の商品の在庫を他社に売ることなく確保しておくように要求して来ます。

仮に、要求された在庫が確保できない場合はペナルティーを課せられますが、合意した期間で要求した在庫を消化し切れなかったとしても、一切の買取りは行わないのです。

当社は販売店向けの売り上げが一番大きかった時は、全国250店舗以上の販売店及び大手誌面通販会社などに商品を卸していました。それ故、大手販売店向けに確保しておかなければならない在庫量は膨大な数量でした。大手販売店は自社で販売リスクをとらないために、常に一方的に自社で売りたい商品の在庫確保を多めに要求して来るのです。

当社の商品は人気商品が多く、各販売店に対してもかなりの発言力を持っていました。

そこで、私は大手販売店の幹部に常々『この日本の販売店と納入会社の一方的でいびつな主従関係の様な取引形態を改善しなければ、販売店は単なる一等地に不動産を持った会社になり下がり、独自で商品を販売することの重要性を忘れることになり、ひいては販売店自体の将来性のためにも良く無い』と警告していました。

しかし、私の声が大手販売店の意思決定の遅さによって、実際の販売現場にその声が届くまでは非常に時間が掛かりました。

それ故、私としては将来は販売店向けのビジネスに依存することなく、独自でエンドユーザー向けの直接販売に切り替えることが必要不可欠であることを痛感していました。

2008年の暮れぎりぎりの12月28日に退院しました。年末年始は、3ヶ月間の空白を取り戻すために誰もいないオフィスに早朝から晩までこもり、売り上げの推移、報告書類に目を通すだけであっという間に過ぎ去ってしまいました。

年始早々病院通いも始まりました。癌の治療、手術を受けると、5年間の経過観察が義務付けられています。

最初の一年は毎月一度の経過観察が耳鼻咽喉科の医局と放射線科の医局で別々の日に行われましたが、毎月経過観察の日が近づくとソワソワして落ち着かない日が続くようになります。
そして経過観察の日は、家を出る前に『何を言われても驚かない』と自分に言い聞かせ病院に向かいました。最初の三ヶ月は順調に『異常無し』と言うことで毎月の経過観察は推移していました。

しかし、退院後四ヶ月目ぐらいから身体のいろいろな部位に異変を感じるようになりました。

私の場合、発見された時点で中咽頭癌が左首リンパ節に転移したレベル4の進行癌でしたので、最初の二年間は再発または転移のリスクが非常に高く80%以上の確率で転移再発の可能性があるとといわれていました。そして、三回目の正月を迎えられるかどうかは微妙とも言われていました。

当社は2013年に株式を上場して、私はそれを実現した段階で会社経営から退き、後進に道を譲る計画で事業展開をしていました。

そういう理由もあり、私は執拗に主治医に『真実を隠すことなく、本当のことを教えて欲しい』と言い続けて来たので、主治医も私の意を汲んでくれ、普通ならそこまではっきり言わないことでも私には伝えてくれることになったのです。

無論、『自分の余命と将来どういうことがどの程度の確率で起こる可能性があるか』ということを聞くのは決して精神衛生に良いことでは有りません。

しかし、私にとっては自分の将来のことを可能な限り明確に知っておくことは、会社経営のために必要不可欠なことだったのです。

それゆえ、身体の部位のちょっとした変化、違和感にも異常なほど敏感になっていました。

最初に感じた肉体的な変化は、それまでと異なりちょっとしたことで眩暈、立ち眩みがすることでした。

ある晩、就寝後目が覚めてトイレに行こうとしたら、気を失い、そのまま後ろ向きに転倒して突起物に後頭部を打ちつけ、床一面血だらけになりました。

原因が分かるまでの日々はちょっとした身体の異変にも常に不安が頭をもたげる悶々として過ごしましたが、結局はっきりとした理由は分かりませんでした。数ヶ月の時を経て、『左首リンパ節を摘出した手術痕が硬くなり、頭に上る血流が著しく悪くなったことが原因だったのではないか』と言うのが、数々の医局で精密検査をした結果の最終診断でした。

それによって、血圧が極端に落ち、急に立ち上がったときの起立血圧の上の値が70をきるような状態になり、瞬間的に意識を失うという現象だったのです。

夜中にトイレに起きる時に意識を失うということはそれからも数回経験しました。運良くベッド側に倒れ大事に至りませんでしたが、主治医より夜中にトイレで目が覚めた場合、ベッド下に尿瓶を用意しておき、尿瓶に用を足す様に指導を受けました。

また、手術後二年間ぐらいは血圧の上の値が100を超えることが無く、低い時は80を切るような状態が続き、血圧を上げる薬だけでも二種類服用していました。

つづく

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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