退院後初めての講演

Pocket

23日に退院後初めての講演を行いました。

退院したのが19日で、四日後の講演ということで主治医は最初は難色を示しましたが、私のこの講演だけは是非とも実現させたいということを理解してくれ、付き添い者が同行するという条件で許可してくれました。

私がどうしてもこの講演は実現させていと願っていたのは、主催者の有力メンバーの一人の方が、25年にわたり私の体をメインテナンスしてくれているカイロプラクティック院の院長で、私の癌との初回の闘病の期間中どれだけ私の身体の痛みを和らげてくれたか分かりません。今回癌が転移して手術後激痛に悩まされていたときも連日のようにメールで、私の体が少しでもほぐれ痛みが和らぐように細心の注意を払って下さいました。

その院長が、今回の主催者の有力メンバーの一人だったので、この講演だけはどうしても優先したかったのです。

講演の対象者は全国から集まる 高い志を抱いた民間療法の方々が多いと聞いていました。3回に亘り生死の境を彷徨った私には、西洋医療側と民間療法が良い意味で補完しあえば、本来双方にとって最重視すべく患者の利益が最大限に守れると確信していますので、是非ともこの高い志を持った方々に私の体験並びに考えを聞いていただきたかったのです。

8月末のPET-CTで確認された、左鎖骨上のリンパ節に転移した癌は、腕神経叢(そう)にも侵食していた為、腕神経叢の二本の神経を切断せざるを得ませんでした。

その為、肩から肩甲骨及び上腕末梢神経にかけての激痛は想像を絶するものでした。三種類の鎮痛剤は服用していましたが痛みはかなり強く、症状を訴えるとそのたびに鎮痛剤が増加されました。

そうでなくとも、化学療法と放射線の併用治療の時は経口抗がん剤も含め、12種類、15錠の経口薬と一種類の粉薬を服用しており、それに加えて点滴による抗がん剤他数種類の薬品が直接血管を通して体内に注入され、さらに抗がん剤の直接注入による深刻な副作用のひとつである、白血球の値の下落を予防する注射や実際に起こった副作用の頑固な便秘や唇、舌、口内にできた口内炎の薬を合わせると20種類を超え、一度に服用する薬の量が、もはや食事みたいなものでした。

痛みを訴えると医局の医師たちは、私の激痛を十分に理解してくれ、鎮痛剤は、まだ出せる量に余裕があり、増やすことは可能と親切に言ってくれました。

私の主治医の医局の部長を始め、医局の若い医師たち及び看護スタッフ達の連携は、大病院には極めて稀な、非常に患者の病状を思いやるとても血の通った医療体制をとっていました。

これは、当たり前のことと思われるかも知れませんが、実際は必ずしもそうではなく、患者を心の通った人間としてではなく、単に病んだ患部、病んだ臓器としてしかみていない医師も少なからずいるのです

私の敬愛する聖路加国際病院の日野原理事長は、医師を目指す人間に対しては、先ず患者の心に触れる医師としての教育のために、医学の知識に加えて、リベラルアーツ(教養)、芸術、音楽、社会学、心理学、行動科学を学ぶことが必要不可欠だと考えておられます。

最初の4年間はそういう学問の習得に力を入れ、その後の4年間に医学中心の教育をすべきだと考えておられますが、私自身の体験からしてそれは必要不可欠なことであると確信しています。

しかし、化石化した古い法律に縛られた現状の教育制度を変えるのは容易ではなく、日野原先生も苦心されていますが、私は生死の境を三回彷徨った体験者の立場から、日野原先生の夢の実現に最大限の力を傾注して行きたいと思っています。

専門分野以外のことを学ぶことにより、専門分野がそれらと融合してより大きく患者の利益を守ることが出来ると信じています。

話を、鎮痛剤の増量の是非に戻しますと、幾ら医学的に私にはまだ鎮痛剤を増量できる余地が有ると言われても、既に服用している薬の量が一食の食事の量みたいな感じの中で、鎮痛剤の量を増やしてもらうことに、肩、背中、上腕の末梢神経に強い痛みを覚えながらも抵抗を感じました。

そういう中、上述のカイロプラクティック院の院長のたった3種類の肩、背中、上腕を緩める指導により、一切鎮痛剤を増やす必要が無くなり寧ろ少なくしてもらう事が出来ました。

医局の医師たちは初めてその事実を知り驚き、私に退院前までに教えて欲しいと頼んでくる医師もしましたし、看護婦さんに至っては入れ代わり立ち代わりそのやり方を真剣に私のところに学びに来ました。

それぞれのプロが互いに助け合えば最終的に双方の最終目的である患者の利益を最大化することが出来るのですが、この様な助け合いを拒んでいるのは医療側の古い村社会的な体質なのです。

過日の高い志を持った民間療法の施術者の方々のためにも、医療界との架け橋になれるように最大限の努力をして行きたいと思います。

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 日記 タグ: パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です