
2008年12月15日(月)の午前中、いよいよ私にとって運命の時が近づいて来ました。
二ヶ月間に亘って行った放射線/抗癌剤の併用治療で消失しきらなかった左首リンパ節の癌を取り除くために、左首リンパ節を廓清(摘出)する手術が行われるまで、あと僅かな時間となりました。
手術用の着替えを済ませ、私は万が一の事を考え、社員に向けて携帯メールで『これから手術を受けるので、皆一丸となって頑張ってくれ。宜しく頼む。』と、病室を出る前に短いメールを入れました。
朝から付き添いのために来院していた家内には、手術室に向かうストレッチャーに横になりながら
「必ず無事戻ってくるからね」
という言葉を残すことが精一杯でした。
また、術室に入る前に手を振る家内の目を見て
「ありがとう」
と言って手術室に入って行きました。恐らく自分の中では二度と目覚める事の無い可能性も考えていたのでしょう。今まで苦労を掛けた家内に対して感謝の気持ちを伝えたかったのだと思います。
意識が戻った時は手術が終了した直後の手術室のベッドの上でした。但し、意識はまだ朦朧として夢か現実か分からないような感じでした。何となく顔の部分を除いて首から頭に掛けて包帯が分厚く巻かれているのが分かりました。そして主治医から
「無事終わりました」
と声を掛けられ『現実の世界に戻ったのだ』という実感がおぼろげながら湧きました。
しかし、本当に実感が湧いたのはストレッチャーに乗せられて手術室から出てきて家内の顔を確認したときでした。
「良かった!あなた、頑張りましたね!」
と言いながら家内が駆け寄ってくる姿を見て自分の手術が無事終ったのだと思いました。
部屋に戻り、まず家内に頼んだ事は携帯電話で写真を撮って貰う事でした。そして無理やり作った笑顔を撮ってもらった写真を添付して『無事生還!』という私のメッセージをメールで社員に送って貰いました。
社員も二ヶ月間入院していた私が、退院したと思ったらまた直ぐに入院して手術を受ける事になったので、とても心配してくれていました。そういう事情もあり、先ずは社員に手術が無事に終った事を知らせたかったのです。
社員全員から
『生還おめでとうございます!』、『お帰りなさい!』
などそれぞれの喜びの返信メールがありましたが、それを読んだのは一眠りして起きたあとでした。
麻酔が切れてきて傷口の痛みで目が覚めました。まだ家内が帰宅する前で丁度帰り支度をしているときでした。
物凄い痛みだったのでナースコールで看護婦を呼んでもらい鎮痛剤を貰いました。しかし、痛みは目の奥から後頭部へと広がり一晩中痛みとの闘いで殆ど眠れない夜を過ごしました。
その中で慰めになったのは社員一人一人から私の携帯に宛てた励ましメールでした。左腕は全く使えませんでしたが、右腕は何とか自由になったのでベッドサイドに置いた携帯に受信していたメールを読みながら社員一人一人の顔を思い浮かべていました。
手術は無事終了しましたが、数日間は起きている間は天井を見るだけの日々が続きました。強い痛みは一晩で引きましたが、数日間はズキズキするような痛みが首から咽、更には歯や後頭部にも広がり、首から上のいろいろな部位が順を追ってまたは同時に痛みました。
手術前に主治医から言われた『左手が左肩より上に上がらなくなる可能性がある』という事に関しても非常に気になっていました。しかし、手術の翌日からベッドに横になりながら左腕を動かそうとしても手術痕の傷口が痛み、どういう状態になっているのか分かりませんでした。
数日経ってから左腕も肩より上に上がる事が分かりましたが、その時点ではかなりの痛みが伴い、肩より10cmぐらい上に上げるのがやっとでした。
つづく