入院中の思い出

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明日退院予定です。

8月27日に受けたPET-CT(癌の検査の最新検査機械)の結果を9月7日の経過観察の時に主治医より聞き、耳を疑いました。主治医は


「都倉さん。余りよくない知らせです。実はPETの検査結果左鎖骨上に癌の転移の疑いが確認されました」

と。

「えっ?うそでしょ先生!」

「今すぐ細胞検査を行いますが、一応PET検査の映像結果では癌の大きさは2.5cmで左鎖骨上の腕神経叢(そう)の上に乗っている状態です」

「どういう治療が考えられますか?」

「まず患部を廓清(取り除く)する手術を行いたいと思いますが、腕神経叢には神経がとても入り組んでいることと静脈、動脈に近い場所なので、安全を見て大きな範囲で患部を廓清することが出来ません。それ故、手術後1週間ぐらい入院して、その後は外来で放射線治療を受けて頂くことになると思います。しかし、前回の放射線治療で72Grayの限界量の放射線を中咽頭と左首リンパ節にを照射しているので、都倉さんの今回の幹部ににどのくらいの放射線を照射出来るかは放射線科の医師に確認しておきます」

という説明でした。

2008年8月に中咽頭癌が左首リンパ節に転移したレベル4の進行癌が発見され、3か月の内に化学療法と放射線治療、手術と癌の三大手術を全て受けましたが、癌の発見時にかなり進行していたため、2年以内に転移再発する確率が80%以上で3回目の正月を迎えられることは微妙と言われていた中、何とか無事3回目の正月を今年の1月1日に向かられたので、今後転移再発の可能性は限りなく少ないと言われていました。

闘病中にまとめた手記を読んで興味を示してくれた月刊誌が いきいき が私の闘病記を4ページに亘り掲載してくれた号が全国に配布された週に癌の転移が確認されたのです。

いきいきの発行前も、私は自分の体験を世の中の多くの大病で苦しんでいる人達や家族の人達の支えになって貰えるように広めていく活動をしていましたので、1日に10通から多くて20通ぐらいの相談のお便りを頂いておりましたが、全国誌のいきいきに紹介されてからは1日100通ぐらいのお便りを頂く様になりました。内容的にも、より深刻な内容の物が増えて来ました。

私の手記の出版に向けた話、講演の依頼などもいろいろ入り出し、10月、11月のスケジュールは既に殆ど埋まった状態での癌の転移の発見でした。

しかし、当初は1週間の入院という予定でしたので、何とかやりくりは出来ると思っていましたが、手術をした結果当初の予想に反し癌が腕神経叢に食い込んでおり、浸食されていた二本の腕神経は犠牲にせざるを得ず切断しました。更に癌が触れていた他の神経も医師としては取り除きたかったのですが、そうすると私の左手が完全に機能を失うため、その分は残しました。しかし、癌が触れていた神経の癌が増殖する恐れがあるので、更に化学療法と放射線治療を2クール受けることになりました。1クール3週間の治療ですから合わせて6週間の追加入院です。

正直言って参りました。

いきいきに紹介される時期を私の新たな本格的な社会復帰活動の時期と位置付けていましたので、全ての計画が狂ってしまうからです。

手術後の1週間はひたすら肩、背中、上腕の激痛に耐えながら病院のベッドの上で身動きも出来ない中で天井を眺めているだけの日々で、いきいき の誌面で語った明鏡止水の心境とは程遠い心境でした。

しかし、過去の2回の生死を彷徨った体験及び闘病生活は決して無駄では無かったのです。

34歳の時に患ったくも膜下出血と55歳の時に患った癌は確実に私を強くしてくれたのです。


それで、追加治療も出来ることは行い後は天命に任せると決め、心も落ち着いて来ましたが、困ったのは全国から来る希望を失った人たちからの相談メールにお答えすることでした。

いきいきには「癌を克服した人間」として大きく特集して貰い、現に取材を受けたときは取材スタッフが本当に2年半闘病生活を送った人間かと驚くほど元気でしたので、私の記事を読んでいろいろご相談事を送って下さる方々に真実をお伝えするタイミングをどうすれば良いかずいぶん迷いました。

最初は、癌の転移が発見されたことは伏せていろいろアドバイスしていましたが、やはり私が再び癌と闘いながらポジティブなエネルギーを保っていることを知って頂く方が皆様方の力にもなると思い、化学療法と放射線の併用治療の第一クールが終わった段階でブログ及び全ての返信に正直に現状に関する報告もすることにしました。

結果的には大正解でした。たくさんのお見舞いメールも頂きましたが、癌の転移の結果再び癌の三大治療を受けている人間が、これだけ希望を持って生きているという事が皆様に伝わり、自分たちも希望が湧いてきたというお便りが相次ぎ、頂いたお便りに返事を書いているときは、手術痕の強い痛みや化学療法や放射線治療の副作用も忘れるほどでした。

その間いろいろな出会いもありました。特に病院の談話室でお年寄りのご婦人グループに『30歳以下に間違えられたり』、『職業は牧師かと聞かれたり』、誰かがいきいきで私を見たと言ったら違うご婦人が

「えっ?この人芸能人なの?でも、テレビで見ないわね。だから病気になっちゃったの?」

などテレビのお笑いのネタになるような会話がいろいろ交わされました。

また。ブログでは紹介致しませんでしたが、『両手の小指が第一関節から無く、背中一面に彫り物の入った老人から聞いた昔の浮世の義理人情を重視した任侠道の世界の話』、『元大企業の最高幹部をされていたかたで、70歳まで入院を経験したことが無く今回初めて深刻な病気で入院され,今まで自分が成功してきたと思っていた人生が如何に儚いものであったかと極度に精神的に落ち込み、いろいろご相談に乗って差し上げたこと』など、正に今回私自身が癌の転移で入院していなければ、普通の日常生活では出会うことのないいろいろな人との触れ合いを体験することが出来ました。

更に、毎日書いているブログをフェースブックに連動させていましたが、二つのフェースブック内のグループから声を掛けて頂き加入したことにより、入院中に新たなコミュニケーションとネット上の出会いが生まれました。

そして化学療法で点滴に繋がれている期間以外は、大体夜中の1時半か2時に起床して一階のロビーで5時ぐらいまで頂いたご相談メールに対する返信やブログの準備をして、5時ごろに談話室に移りそのころボチボチ起きてくるお年寄りと対話を重ねるなど、他の場所では絶対に経験できない貴重な日々を送ることが出来ました。

更に、何よりもメールコミュニケーションを通じて知り合った癌を始め大病で苦しんでいらしゃる方に対して、従来の癌のサバイバー(克服した人間)の立場としてではなく現役の闘病中の同志としてアドバイスできることは、より皆様方に身近な存在に思って頂けると思う次第です。

明日は、皆様から一番多く頂いている質問の中で、私が過酷な癌との二年半の闘病生活の中でどうして希望を持ち続けられたに関して、私の具体例をお話ししたいと思います。

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 健康 タグ: パーマリンク

入院中の思い出 への2件のフィードバック

  1. 大間知 総一郎 のコメント:
    退院おめでとう。改めて貴君の強い精神力には感心します。これまで病気を乗り越えてきた
    からこそ身に付いたものなのでしょう。まだ当分はアフターケアが必要でしょうが、家族と
    一緒であれば気分も違うでしょう。お大事に。
    • 都倉 亮 のコメント:
      有り難う。11月23日、12月5日、8日と入院中延期して貰った講演他雑誌の取材など前向きな活動が年末まで目白押しです。世の多くの悩みを抱えた人に今までのサバイバーとしてではなく 同志の中の体験者 としてサポートできる幸せを神に感謝します。

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