
私が親しくしている米国人が米国に一時帰国するので見舞いに来たいという事だったので病院の食堂で会いました。
化学療法と放射線の併用治療は副作用が予想できないために、家族以外のお見舞いはお気持ちだけ頂きお断りしていたのですが、その人の場合は一年ぐらい会えなくなるので丁度化学療法の中断期間に来て貰いました。
その男は大のサッカーファンで、なでしこジャパンが誰も予想していなかった世界最強の米国チームに勝ったことを無条件に賞賛していましたが、話題がなでしこジャパンが帰国後、選手が引っ張りだこで、ある民放の番組に出たときの話になりました。私もたまたまその番組を見ていたので彼は私には非常に話しやすかったのか、ある一面での日本人の国際感覚の欠如している部分を鋭く指摘していました。
その番組とは、二人のお笑いコンビが二手に分かれ、当日のゲストが二人出て料理を何種類か食べ、相手の嫌いな料理を当てるという番組です。
当日はなでしこの代表的な二人がゲストとして招かれましたが、番組が進むに連れてお笑いコンビの一人が、アメリカの世界一と言われているフォワードの名選手を
「なんかあの選手は腋臭(わきが)で臭そうですね」
とか
「あの臭さは堪らないでしょう?などと実名をあげて何回もしつこく言うのです」
スタジオの観客は笑っていましたが、なでしこのゲストの一人は、米国にいたときのチームメートでしたので困った表情はしていましたが、悪ノリをしているお笑いタレントの発言を制することは当然のことながらできませんでした。
その米国の選手は、単に女子サッカー界の世界一の選手と言うだけではなく、とても立派なスポーツ精神の持ち主で、なでしこが勝った時にわざわざ日本チームのところまで来て祝福の言葉を述べ、米国に帰国した後もなでしこのファイトぶりをメディアに賞賛していた選手だったのです。
見舞いに来てくれた米国人の友人は私に次のような質問をしました。
「亮。自分は不思議でしようがなかったのは誰もその男の発言を制するどころか、繰り返し、繰り返し一人の米国女性の肉体に関する全く根拠のない悪ふざけを連発するのを喜んで聞いている日本人のメンタリティーなんだよね。このような発言がこれだけ大ぴらに無神経に使われるのは世界広しども日本だけだよ」
と。そして
「自分も日本に15年以上いるから分かるけど、無神経なタレントは自分の言っていることがどういう意味を持つかなど考えずに単にスタジオの笑いをとれば良いぐらいにしか思っていないんだろうが、発言内容は甚だしい人種差別かつセクハラな話題だから、もし対象がアフリカ人とか中東等の人間であった場合、また特に現在日本政府が病的に気を使っている中国人、韓国人他東南アジアの人間なんかだったら大問題になり、そのタレントは番組降板は当然のことながら、テレビ局の社長が公式にお詫びをするぐらいの問題だと思うんだが、『番組中に米国の女子選手に対する不適切は発言があったことをお詫びします』の一言も番組終了までなかたよ」
と、そのタレントの非常識さはもとよりテレビ局ひいてはそれに対する一般日本人からも批判の声が全く上がらなかったことを嘆いていました。そして、こういう部分に関する日本人の国際的な感覚の欠如が、如何に現在の世界基準からすると致命的かという事を強調していました。
「チビクロサンボ」という黒人の子供のキャラクターを描いた絵本の題名が不適切と言って変えるぐらい気を遣いながら、一方では平気で一人の米国人のサッカー界の女性を実名で「腋臭だとか臭い女」と平然と言い切ることをに対して何も考えていないタレントがいう事を許す国民性は、外国人の目から見たら日本人は本質的に外国人を受け入れることが出来ない民族だと思われてもしようがないのではないでしょうか?
もし欧米のテレビ番組で
「あの日本人の選手は良くあんなに目が細いのにボールが見えるね」
などと発言したら、即刻人種差別発言として大問題になることは必至です。
私の手記やブログの 主たるテーマは 日本社会の村社会的発想から脱却する必要性です。私の言う村社会とは 全体の利益を重視するよりも 自分たちの属しているグループの利益を最重視するという日本のあらゆるレベルに沁みついているもので、最たる特徴は 同じ類の者だけで戯れ合い異質なものを受け入れることができない 考え方ということです。
皆さんもご自身が属している社会で大なり小なりこの村社会的発想が全体の利益を妨げている面をお感じになることがあるのではありませんか?
これは、私が14歳まで11年間ドイツで過ごし、ドイツのアメリカンスクールに通学して、日本に帰国した時は日本語と英語とドイツ語は大体同じレベルで使いこなせましたが、学校の生徒は私のことを完全に自分たちと肌の色は同じでも自分たちとは違う外国人として扱われました。親切にしてくれる面もあるのですが、絶対に一定のグループの仲間には入れませんでした。
それ故、高校の三年間は日本人の言葉の裏にある行動基準などを理屈で考えざるを得ず、かなりの時間を日本人の本音と建前の使い分け方や行動原則について理解する時間に費やしました。
我々が日本を再生させるためにはいままでの様に国を守ってくれるのは米国で、国の方針を決めるのは政治家と官僚で、日本の企業の優秀な技術で輸出大国で繁栄できた夢の時代の再現など、今後あり得ないことを考えるのではなく、
*国は米国の協力を得て独自で守る。
*先進国の中で一番国民の選挙投票率が低い国民の政治意識を高める。
*伝統芸能の家元制度如しの政治家の世襲の見直し、公募制を充実させ、本当に日本の政治を担いたい人間が国政に参加できる機会を拡大する。
*一国の利益より各政党の派閥の利益を平然と優先する政治の私物化を国民の力で止めさせる。
これらは我々国民の責任で成し遂げられなければならないのです。そのためには国民一人一人が世界市民の中の一員である自覚を持つことが必要最低限の条件です。
自分のグループに属する人間以外のことならどうでもよいとなにも感じず笑って喜んでいる我々日本国民が襟を正し、本当の意味での世界市民の一員となり共存共栄を目指しながら経済繁栄を目指す道を模索することのみが本当の意味での日本の再生に繋がると私は考えます。
戦後日本人は明らかに変わりました。戦前の文化を殆ど捨て去り、緊張感のない平和ボケの国民に成り下がっています。それは日本の政治構造から生まれたものです。要するにアメリカの傘の中で、培われてきた文化でしょう。誠に残念です。
戦後に育った世代は、幼児化されてしまったのです。
我々の時代で変えていきたいと思います。少なくとも進むべく方向性だけでも示せればと考えています。
私のブログはフェースブックの一般欄も含めて三つのセクションで活発な討議が繰り返されています。宜しければご参加ください。
日本の現在の閉塞感を打開するのと日本が本当の意味で世界市民の一員になれるために微力ながら声を大にしていろいろ言い続けようと思っています。
ヨーロッパの歴史を見ても種が交わっていくことによりより人種は強くなってきています。
同じ日本人の中でも、日本人は直ぐに同類のみが戯れる村社会、派閥の形成がお紺われ、自分たちと違う価値観に対して排他的です。異種、違う考えをを受け入れて行くことによって初めてダイナミックな成長が期待されるのです。
成長がこれから世界の一員として生き残り成長していくためには村社会からの脱出がキーワードだと考えます。