ある仏教徒からのお便り

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月刊誌 いきいき で私のことが掲載された記事をお読みになったある仏教徒の方からお便りを頂きました。その方は長年仏教徒としていろいろな修行を積んだ立派な方ですが、このたび癌であることを告知され非常に精神的に取り乱し、自分の今までの修行は何なんだと思い悩んでいらっしゃる様子でした。そして、私がクリスチャンという事を知り、私の場合はキリスト教の教えで度重なる病気との闘いの恐怖を乗り越えることが出来たのかというご質問も書いてありました。

それはとんでもない誤解で、私はクリスチャンと言ってもインチキクリスチャンもいいとこで、とてもそんな立派な方にキリストの教えなどを語ることなど出来ません。

私は、亡母が敬虔なカトリック信者だったので自分の意思とは関係なく幼児洗礼を受け、幼少の頃から教会に連れて行かれていました。当時のカトリック教会のミサは世界中どこでもラテン語で行われ、厳しかった母親は教会内で私語は一言もゆるしてくれない様な人でしたので、子供の私には教会に行くのが嫌で堪りませんでした。

日本に帰国して、高校受験を理由に教会から遠ざかって、それこそクリスマスやイースター(復活祭)の特別なミサだけ参加するような状態がずっと続いていました。

聖書も、新約聖書は何回か読んだことはありますが、意味が全く分からず、イエスの教えは起承転結で書かれていなく、ある例え話や結論だけを述べているだけの場合が多いので自分で考えなければならず、全く理解できない個所が多く、解説書を読んでもなんだかこじつけみたいな解説書が多く、理解に苦しんでいたというのが正直なところです。

但し、2008年に中咽頭癌が左首リンパ節に転移したステージ4の進行癌を患い、それから二年半に亘る闘病生活を送る中で聖書を読み返してみると、それまでと全く違う解釈をすることが出来ました。

例えば、クリスチャンでは無い人でも一度ぐらい耳にしたことのある有名なイエスの山上の説教でイエスは

『明日のことは煩うなかれ、明日のことは明日自らが思い煩う』

と説いています。意味することは 明日の心配は明日に任せよ、明日のことまで思い悩むなという事です。

これはともすると明日に向けた準備は何もしなくても良い と言っているように捉えられますが、私はそれまでとは全く違う解釈をしました。

つまりイエスが説いていることは

「明日に向けて一生懸命準備をしなさい。しかしいくら準備をしてもその結果はどうなるかは明日まで分からないので、そのことで心を悩ますことなくその部分は神に委ねなさい」

と言うことではないかと解釈しました。

そうすると多くのことに気づきました。一般的にわれわれを押しつぶしているストレスの多くは、自分では結論が出せないことに対していろいろ思いを巡らせ悶々として精神を疲弊させていることが多いのです。

これをきっかっけに、私は自分で出来ることはとことん調べて自分なりに結論を結論を下したら、その結果は天に委ねるという方針に切り替えました。そしてそれまでは一番悶々としていた自分ではどうにもならない部分に対してマイナスの想像の虜になっていたプレッシャーから解放されました。

そのお蔭で、大きな肩の荷が降りたと思います。

今回も不幸にも一番危険であった二年間の転移再発リスクが過ぎ、私も主治医も安心していた三年目に転移が発見され、最初は手術だけで済むはずでしたが、結果的に引き続き6週間の化学療法と放射線治療を受けることになりました。

この結果を受けて明鏡止水の心境でいれたかと聞かれますと、正直にとんでもなく心が動揺しました。しかし、以前と違い悶々と先々のことを考えることなく、どういう方法が今取れる方法でベストなのかという事を主治医と話し合い、自分で治療方法を主治医に依頼して、その結果は天に委ねることにしたのです。

転移が判明した時は 丁度月刊誌いきいきで癌を克服した人間として大きく掲載された週で、取材を受けたときは正に主治医が驚くほどの回復ぶりだったのです。

それゆえ、ショックが無かったと言えば嘘になりますが、直ぐに何が今ベストの選択かという事を考え、結論を出したら後はその後の自分の力ではどうすることも出来ない結果について悶々とすることは一切しませんでした。

ご相談頂いたご老人にも包み隠さずそのことをお伝えしたら、ご丁寧なお礼状が届き、煩悩を拭い去ることが出来たとおっしゃっていました。

まだ来ぬ未来や過ぎ去った変えられぬ過去に悶々とすることなく今現在出来ることをするなどという事は言い古されたことですが、それを言葉としてではなく実感できた時に人間は一皮むけるものだということを体験しました。

人間、古今東西の教えで何百回と聞いている当たり前のことを言葉としてではなく身体で実感できた時に一種の悟りを開いた心境になるのではないでしょうか?

私自身は55歳で癌との闘いが始まり、完治したと思ったら58歳で転移が発見され現在難敵と闘争中ですが、自分で納得をした選択をしたので、あとの結果は天に委ねようと思っています。

天は私に精神的に苦しんでいる多くの人達の支えになるように、私の体験談を幅広く伝えさせるために私に新たな命を下さったと思いますので、きっと私の味方をして下さると信じています(笑)





都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 日記 タグ: パーマリンク

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