
先週連日のように、秋の運動会の練習中ぬ児童が熱中症にかかり病院に搬送されるという報道がなされていました。
その都度会見で練習時間帯が的確だったかどうか調査中等、意味不明なことを言っている学校責任者もいました。
練習時間帯か方法が的確でなかったから、事件は生じたのです。そんなことは調査云々の以前の基本的な問題です。
いつもながらの『紋切り型』の報道が繰り返されるもどかしさを多くの人が感じていると思いますが、イジメが原因と思われる 小中学生の悲しい自殺のの問題などが報道されると、必ず学校長や教育委員会のお偉方が出てきて、イジメがあったかどうかを調査中などの発言を繰り返します。しかし、その教訓が生かされてその後の改善に繋がっているとは思えません。
私が14歳でドイツから帰国したときも、かなり辛い思いをしました。
直接的な危害を加えられたことはありませんでしたが、仲間に入れてもらえぬ、存在を無視されるイジメにはたびたび遇いました。
昨今のイジメも 存在を認めて貰えない というものが非常に多いと聞きます。
そういう生徒に手をさしのべるどころか、そういうことが起こっているかどうかも分からないということでしたら、学校関係者は教育者としての資格は返上すべきでしょう。
私の時代から40数年経っていますが、本質は何も変わっていないのです。
日本社会の同じ類いでだけ群れあい、異質なものを受け入れることの苦手な村社会的な考え方が根底にあるのです。
大人の世界の学閥、派閥なども全く同じ行動原理です。
子供を指導する立場の大人が変わらない限り同じことは繰り返されます。
私は闘病生活を中心に半生を手記に纏めましたが、その中での大きなテーマは 日本の村社会 の部分を打開しなければならないという点です。
現在の日本社会の閉塞感もこの全体の利益を優先するよりも自己の属する世界の利益を重視する村社会的な考え方に根付いている面が強いと考えます。
これからも声を大にしてこの部分に関して訴求して行きたいと思います。