
桜井翔 が演ずる栗山一止医師が、大学病院で手の施しようがなく余命六ヶ月と診断された末期癌患者の女性を、町の病院で看護師などと人間味溢れる連係プレーで血の通った治療を最期まで施すという映画です。栗山医師を支える奥さん役を 宮崎あおい が演じて、とてもほのぼのとした人間ドラマが描かれた映画でした。
女性患者が亡くなった後に栗原医師に宛てられていた遺書には
大学病院で見放された自分を受け入れてくれたことと、 人生の最後に生きていることの喜びと幸せな時を与えてくれた 栗原医師と関係者に感謝が述べられています。
この 余命を宣告された患者が 生きていることに対しての喜びを感じられるかどうか ということは最も重要な問題のひとつなのですが、この最重要な部分のひとつが 現代医療の現場では往々にして置き去りにされている と思います。 一般の医師を始めとした医療関係者には、その人たち自らが生死をさまよう体験でもしてない限り 本当の患者の気持ちは分からないと思います。
私も2008年8月に中咽頭癌が左首リンパ節に転移したレベル4の進行癌が発見され、放射線治療、坑癌剤治療、手術と癌の三大治療を全て受けました。
しかし、発見されたときがかなりの手遅れ状態だったので、二年以内に転移再発する確率が八割以上、三回目の正月を迎えることは難しいという診断でした。
私の体験から言わせて貰いますと、人間余命を宣告されると、ある程度の覚悟は定まります。
問題はその残された時間なのです。
その残された時間を、幸せを感じながら過ごすか絶望のなかで過ごすかでは患者の終末は全く異なります。
幸せを感じれば心も満たされ希望も生まれます。
希望とは生と死を繋ぐ最後の絆です。
映画ではエリート医師が栗山医師に、一人の患者に余り感情移入しないように忠告したり、大学病院の教授が大学病院の仕事は一人一人の患者に接することではなく、大勢の患者を救える医療の先端の研究をすることにあると話す場面が出てきます。
これは、正に私が闘病生活を通して見た現代日本の医療現場の姿を描写した場面だと思いました。
しかし、この現代日本の医療現場の姿こそ、本来一番重要であるはずの患者の生と死を繋いでいる最後の絆を切らんとしているのです。
私は栗山医師の様な医師との出会いはありませんでしたが、何とか切れかけた最後の絆を繋ぎとめることが出来ました。
そして天の意思により一番危険だと言われた二年間で転移再発は無く、迎えることが難しいといわれた三回目の正月も今年の元日に迎えることが出来、今では病気前より充実した日々を元気に送っています。
殆ど残っていなかった希望を最後の一線で保てたのは幸いでした。
なぜなら、神様のカルテには医師のカルテとは全く異なる診断が下されていたのですから(笑)