癌との闘い‐4(治療の開始)

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社員には簡単に 『中咽頭癌が左首リンパ節に転移した状態で放射線/抗癌剤の併用治療を受ける』 と報告しました。

レベル4の進行癌 であることは敢えて動揺を広げないように伏せました。 また、入院中に取引先を中心とした対外的に私の事を話すときは、入院はしていることは伝えても病名は告げないように指示しました。

そして入院前日まで、 放射線/抗癌剤の併用治療に要する二ヶ月の入院期間に 予想されるいろいろな事を整理しました。 

入院中も毎日家内が見舞いに来る時に前日の社員の業務日誌のコピーを持ってきて貰うことにしました。しかし、普段はパソコンで見ていた報告書類をプリントアウトして持参して貰うと膨大な量になるのでどうしようかなどと、その他いろいろなことと併せなかなか頭が整理できない状態が続きました。

入院する日を迎え、それまで殆ど考える余裕が無かった入院中の治療の事に考えが及びました。

それまでのPET-CT検査を含めた検査で癌は中咽頭から左リンパ節に転移しているものの、そこから先の他の身体の部位への転移は無いことが確認されていました。 治療は予定通り中咽癌及び左首リンパ節に転移している癌に対して放射線/抗癌剤の併用治療が行われる予定でした。

入院した翌日から朝夕二回の放射線治療が開始されました。

先ずは台の上に横になり、事前に私の首から上の形を寸分の狂いもなく作られたマスクを被せられ、身動きが出来ないようにマスクを台に固定されます。

そして、癌のある部分にめがけて放射線がいろいろな角度から投射されます。時間は朝夕それぞれ一分程度で最初の二、三日は痛みを含めた自覚症状はありませんでした。

しかし、四日目ぐらいから徐々に口の中と咽の部分にじわじわと違和感を覚えるようになりました。その違和感は直ぐに鋭い痛みに変わっていきました。鋭い痛みといっても今まで経験したことの無いような口の中と咽が焼け付くような痛みでした。

この治療は想像を遥かに上回る身体的に負担の掛かる治療でした。

最初は分かりませんでしたが、先行して放射線治療を受けていた多くの患者は大体一週間を過ぎた頃から目に見えて元気がなくなってきていました。そして放射線治療が終わった後、病室に戻る前にナースステーションで氷の小さな塊を貰って口に含んでいました。更に冷却枕や冷却材をタオルで巻いて、放射線があたって表面の皮膚が熱を持っている部分を冷やしていました。

そして一週間目ぐらいから自力で食事をすることが出来なくなり、鼻からチューブを通して液体状にした食物を注入する方法で栄養補給をするというのが通常のパターンでした。また、治療に行くのも自力では行けず、車椅子に乗り看護婦に治療室まで連れていって貰うケースが目立ちました。

放射線治療の影響は私も四日目ぐらいから受け始めました。普通の病院食を食べることが困難になってきたので、ご飯をおかゆに、おかずも食べやすい軟食に買えて貰いました。

入院前に主治医から聞いた

「患者が出来る仕事は自力で食べることだけ」

という言葉が頭に焼き付いていました。そして、最後まで自力で食べ通すことにこだわっていました。しかし、実際に自力で食べることには大変な苦痛が伴いました。

つづく

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
カテゴリー: 癌との闘い タグ: パーマリンク

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