癌との闘い-2(精密検査の結果)

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病院から帰宅すると直ぐにパソコンに向かい 中咽頭癌 に付いて検索を始めました。

すると、中咽頭癌に関するいろいろな情報がいろいろ表示され、次々と衝撃的な事実が判明しました。



『首のリンパ節に転移した状態で見つかることが多く、更に肺に移転している事もある』、『更に他の部位、臓器に転移している場合もある』

事の重大さが実感としてひしひしと湧いてきました。

そして、調べれば調べるほど、自分の身体にとんでもないことが起こっていることは理解できました。しかし、知識の無さから細かいことまで分からず、非常に心の重い憂鬱な週末を過ごし月曜日の精密検査に臨みました。

週末は、『インターネットの検索』 と 『もし自分の命が余命いくばくかも無い状態だったら、今から何をしなければならないか』 と言うことで頭が一杯で、殆ど睡眠が取れませんでした。

検査は月曜日の早朝血液検査に始まり首周辺のエコー検査、肺のレントゲン検査他午前中一杯かかりました。血液検査は採血直後には結果でないとは分かっていましたが、CT、エコーやレントゲン検査に関しては、検査が終了したら直ぐに担当医に

「結果はどうでしたか?」

と聞きましたが、

「検査結果は纏めて主治医の方から説明します」

とごくマニュアルどおりの回答でした。

病院のルールとして各検査医、技師たちがコメントする立場には無いということは分かりつつも、居てもたってもいられないような状態だったので、結果が早く知りたくついつい口を突いてでてしまうのです。

昼休みの間も気が気ではなく、午後一番で検査結果を聞きに主治医の診察室に入ると、主治医も神妙な顔をしていました。

「先生、どうでした?」

と最後の望みをかけて質問しました。

主治医は

「残念ですが、恐れていたとおり一連の検査の結果はやはり、中咽頭癌が左首リンパ節に転移していますね。転移及び癌の大きさからするとレベル4の進行癌です」

ということでした。

その言葉を聞いた途端全、身の力が抜けていくのが分かりました。

ついに来るべき時が来たという心境に陥りました。しかし、どう考えても自分がこの様な病気になるとは信じられませんでした。

私は34歳の時にクモ膜下出血の手術を受け九死に一生を得ました。更に、幸いにも当初かなりの高い確率で残ると言われた後遺症も残りませんでした。

それ以来、ライフスタイルを変えました。独立してからは、毎朝5時起床、5キロのランニングとウェートトレーニングを行ってから出社するという日々を送っておりました。

そして、食事にも気を配り、独学ですが栄養学の勉強もして、栄養管理も行っていました。タバコもきっぱり止めお酒も付き合い程度しか飲まず、社員にも 『健康オタク』 と言われていた程でした。

しかも、毎年人間ドック他主要な身体検査は受けていました。いきなり レベル4の進行癌 と言われても、その事実を現実として受け入れることができませんでした。

つづく

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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癌との闘い-2(精密検査の結果) への2件のフィードバック

  1. 大間知 総一郎 のコメント:
    ついに衝撃の事実と向き合う時が到来し、貴君の心の動揺がひしひしと感じられ、その時の
    心中を本当にお察しします。ましてこれだけ健康に気を使っていたのですから。

    来週以降のブログで明らかになると思いますが、主治医から治療の方法その他の説明が
    なされ、これから貴君の病気との闘いが本格的にスタートするのでしょう。
    引き続き 熟読させて頂きます。
    • 都倉 亮 のコメント:
      主治医とはその後親しくなり、今ではお子さんのことなども相談を受ける仲になりましたが、最初に 癌の告知 を受けたときは衝撃的でした。

      後になって主治医に冗談半分で

      『診察室に入って15秒後にああいう形で 告知 を受けると、心臓の弱い患者だったら 癌より先に心臓停止 で死んでしまいますよ』

      と話したことがありました(笑)

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