差別社会

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この間東京在住のヨーロッパの外交官夫妻と食事をした際、ご夫人から

『日本社会は、私が今まで訪れた国の中で一番の差別社会です』

という発言がありました。

ご夫人が使われた表現は

”Japan is calm, but the utmost racial discrimination country in the world.”

直訳すると

日本は穏やかですが、世界で一番の人種差別の国

という意味になります。

夫妻は今まで米国を始めとする数カ国に駐在経験があります。

普通の日本人がこの発言を聞いたら不思議に思うと思います。

何故なら、一般的に日本人の感覚では、アフリカ、アジアなどの国々の人達に対する差別はあってもヨーロッパ系の外国人には差別はないと思われているからです。



しかし、私にはこのご夫人の発言の意味が良く分かりました。それは、ご夫人が感じた『違和感』は、かつて私が幼少の頃長い海外生活を経て帰国した時に感じた日本社会に対する『違和感』と同じだったからです。

差別というと一般的には

上から目線で

取り扱いに差をつけること

の意味に使われますが、この夫人が言っていた差別とはむしろ

同類のものと他のものと違いを際立たせること

という意味なのです。

つまり、差別というのは

上から目線であろうが、お客様扱いであろうが

自分たちとは同じではないということで、仲間に入れず部外者扱いすることなのです。

そして夫人は

『カルチャー教室などの夫人グループなどにもいろいろ参加して日本人のサークルに入れてもらえるように努力しました。しかし、親切にはしてくれるのですが、本当の意味で仲間には入れてもらえませんでした』

と首を振りながら寂しげに言っていました。

同じ類で群れあい異種と交わる事を好まない

私が14歳になるまで11年間海外で過ごし帰国した時に、まさにご夫人と同じことを感じました。

親切にはしてくれるが、グループの中には入れてもらえない。お客様として一線を画した付き合いはしてくれるが、腹を割った付き合いはしてもらえないということを感じ続け、高校時代の三年間は頭で日本人の行動基準を理解する日々であったと言っても過言じゃ有りません。

問題を複雑にしているのは、仲間に入れてもらえない方はそれを『差別』と感じますが、実際の当事者たちは決して『差別』をしていると思っていないことなのです。

私は日本人は私が知っている世界の国々の国民と比べてもとても良心的で、気遣い思いやりもある国民だと思っています。

しかし、往々にして日本人の良心、気遣い、思いやりは全体よりも自分たちの属している社会、グループに向けて示されるのです。

そして、その結果悪気は無いのですが、自分たちの属している世界以外に対する意識が薄れるのでは無いでしょうか?

これは、私の長年の持論である日本社会の『村社会』的な考え方、行動基準に起因している部分が大きいと思います。

世界は一つと言われて久しいですが、先ずは日本が一つになるために、日本社会に深く根ざしているこの『村社会』的な部分を変えて行かねばなりません。

自分たちの属している世界の利益のみならず、外の世界の利益、ひいては社会全体の利益のために考えて行動していくことが、現在の日本社会の閉塞感を打開するためにも必要不可欠だと思います。

都倉 亮 について

1953年生まれ。幼少の頃11年ドイツで過ごし、アメリカンスクールに学ぶ。慶大卒後三井物産に13年勤務。その後会社経営を経て現在執筆を中心に活動。日本の素晴らしい面、世界基準に変えねばならない面を長年の海外生活で培った目で発信して行きたいと思います。
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